アクセスランキング
--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2015-06-24(Wed)

ローマ帝国の滅亡/狐疑の皇帝 コンモドゥス

1964年 アメリカ
ローマ帝国の滅亡監督「アンソニー・マン」が、1961年の『エル・シド』の次に手がけた歴史超大作。ヒロインは前作と同様の、「ソフィアローレン」。制作費節減の努力が垣間見えた前作とは相異なり、今回は絢爛豪華です。作品の一番の特徴は当時、空前絶後と言われた130人という人数で構成されたオーケストラによる背景音楽。これが、話題となりゴールデングローブで音楽賞を受賞しました。エキストラ約15000人に馬約9000頭、ローマの神殿などの建築物のセットなど、映像は見ごたえがあります。物語の内容は、帝国がいかにして滅亡したのかというよりも、歴代のローマ皇帝の中でも、悪名高い皇帝の一人「コンモドゥス」を、架空の人物「リヴィウス」と絡ませた脚本で作られたフィクションです。

[あらすじ]
西暦180年。時の君主は、後に最後の五賢帝となる、16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス。 彼は病弱だったが、それでも広大な帝国を軋轢なく統治していた。彼の心配は、未だローマに屈しない「北の蛮族ババリア」と「東のペルシャ」との対立。そして後継者問題だった。アウレリウスには息子のコンモドゥスがいたが、彼は剣闘士競技を道楽とし快楽主義で非情、かつ暗愚であったため、軍団指揮官のリヴィウスに、その座を譲ろうと考えていたのだった。コンモドゥスとリヴィウスは親しく、互いに酒を飲み交わす仲だったが、リヴィウスは、皇帝が自分に皇帝の座を与えたいと考えていることに悩み、コンモドゥスに告白すると、コンモドゥスは父親に愛されていないと酷く傷つくのです。

同時期、アウレリウスはローマに各国の君主を呼び寄せた。ババリアの頭領バロマーを捉えて話し合うためだった。しかしコンモドゥスの誤算でこの作戦は失敗に終わってしまう。リディウスは数人の兵士を「臆病者」とし、処刑をしていたところを、コンモドゥスが止めに入り二人は衝突する。

1-119_20150623225852037.jpg
美しい馬と細かな装飾に目を奪われます。    二人が対立する場面ではこんな見事なシーンが連続です。馬たちにあげたいアカデミー賞

アウレリウスにはもうひとり娘のルシラがいた。彼女は兄であるコンモドゥスとは常に対立していたが、リヴィウスとは恋仲となっていた。けれど、王女である彼女はその役目として、父アウレリウスにより、アルメニア王との政略結婚を命じられそれに従うのです。一方、アウレリスが皇帝の座をリディウスに譲ることを考えていることを知った側近達は、彼が皇帝になると、今の自分達の身分が危うくなると心配し、後継者を指名する前にと密かに皇帝暗殺を企てる。病弱だったアウレリウスは暗殺とは知られること無く殺害されてしまいます。皇帝亡き後、リヴィウスは、自分に後継者の資格はないと考え、民衆の前で新皇帝としてコンモドゥスの腕を高く掲げるのです。

02_201506240032019d6.jpg
競技を増やすので税金は倍という新皇帝。 戦いの時はいつもコンモドゥスに付いている剣闘士のウェルラス  帰城したリディウスを迎える

皇帝として即位したコンモドゥスは自分は父とは違うといい悪政を始める。ルシラは結婚しアルメニア王の下に嫁いだが、直ぐにローマを心配し宮殿に戻りコンモドゥスに意見した。リディウスのほうは再びババリア族と戦い勝利。先の皇帝アウレリウスの意志を継ぎ、ババリア族を、奴隷にはしないと説得して宮殿に連れてきた。コンモドゥス立会いの上、元老院議員たちにより審議がなされ、彼らを奴隷とせず、ローマ人とすることとし、平和的な決定がなされた。しかし、これを快く思わなかったコンモドゥスはリディアとルシラを引き離すのです。リディウスの最高指揮官の地位を剥奪し、北方の軍備に追いやり、ルシラはアルメニアの王の下へ帰したのだった。リディウスはババリアの民に平和を約束して北に旅立った。

時が経ち、リディウスは再びコンモドゥスに呼び出された。途中でババリア族の村に寄ったところ、彼らは平和に暮らしていて、リディウスは安堵した。しかし彼らから聞いたローマの噂は、飢饉や疫病の蔓延だった。さらに、ローマに到着し、コンモドゥス帝に会うと彼は孤立していた。帝国は分裂し変貌。かつて団結していた多くの諸国がローマから離れ反乱を起こしていたのだった。コンモドゥスはリディウスに、反乱軍と戦うよう、再び指揮官に任命する。リディウスは「権力を与えないで下さい」とコンモドゥスに告げるが、皇帝の命令に逆らえず任務に就いた。

1-119_201506240204444f8.jpg
ババリア人の自由を勝ち取ったが二人は離れ離れに。ババリア人は後のバイエルンの人々です。 ルシラも反逆者と知り逃げるように促すが・・

戦いを始める前に反乱軍に接触。すると、そこにはルシラもいた。驚きを隠せないリディウスだったが、彼女の気持ちを変えることは出来ず、彼が率いる北軍と反乱軍との戦いは始まる。その混乱の最中ペルシャ軍が襲ってきた。ルシラの夫アルメニアの王がペルシア軍に寝返り、ペルシャ軍を引き連れてきたのだった。おのずとリディウスの北軍は反乱軍と共にペルシャに立ち向かい、ペルシャを打ち破った。この戦いでアルメニアの王は戦死。共に戦った事で北軍と反乱軍との戦いは収束する。やがて、彼の元に、皇帝の使者がやってきた。コンモドゥス帝の通達は、リディウスに地位と名誉を与えるものであったが、同時に、反乱を起こした諸国の都市の破壊と5000人の市民の処刑だった。リディウスは、これに反発し、使者を馬車の檻に放り込み、コンモドゥス帝に送り返した。自らも皇帝に反旗を翻したのだった。宮殿に到着した馬車の中身を「ペルシャの戦利品」と思って見たコンモドゥス帝は、リディウスが自分に背いたことに怒り、ババリア人の村の襲撃命令を出し、多くの人々を殺害した。

その惨状を、目の当たりにしたリデイウスは怒りを抑えられなかった。彼は一人でコンモドゥス帝の所に行くことを決め、軍団とルシラと共にローマに向かった。 大勢の兵士たちを城外の外へ待機させ、自分が戻らなかったら、城内に進撃することを計画。一人で宮殿に入り、コンモドゥスを追放しようと元老院達を説得しようとしたが、もはや欲で腐敗した内部は変えることは出来ず、リディウスは反逆者として捕らえられてしまう。

02_2015062403534608c.jpg

さらに、外で待機していた彼の軍隊は、皇帝が彼らに金貨をばら撒き、兵士たちは次々と皇帝に寝返ってしまった。軍が総崩れとなってしまったことを悲しんだルシラは、宮殿に入り込み、コンモドゥスを殺害しようとしたが、間違えて剣闘士ウェルラスに刃を向けた。とっさにルシラは彼に、「兄を殺して欲しい」と頼むと「息子を殺せるはずはない」と言う。ルシラはこの男が母親の不貞の相手と知りショックを受けたが、もっとショックを受けたのは、それを影で聞いていた本人であった。コンモドゥスはその場で実の父親を殺す。

1-119_2015062404225996e.jpg

絶望感に打ちひしがれたルシラは、宮殿から出て、捕らえられていたリディウスの元へ走り寄り鎖に繋がれた。囚われていた少数のババリア人とリディウスの側についた勇気ある少数の元老院達も繋がれている。彼女は愛するリディウスと一緒にと自ら火刑台に登ったのでした。彼らの処刑を決めていたコンモドゥスは、自分は神であり、負けるはずなどないという慢心から、リヴィウスに自分との決闘の機会を与えると言い出します。
そして生死を賭けた戦いが始まる・・・。


[あとがき]
3時間超えの大作です。折角使っている大規模なオーケストラ、ふんだんに使わなきゃ勿体無い。といったところでしょうか。監督さん、きっと、とても倹約家なのでしょう。でも、それが裏目に出て、残念ながら「無駄に長い」という印象を受けます。費用も時間ももてあまし気味に見えました。それと、この作品の主役は主役ではないという感じを受けましたが、果たして作り側の意図はどうだったのでしょうか。私には悪役のコンモドゥスのほうが主役として映りました。作品中のコンモドゥスは、無邪気であったり、ちょっとは同情できたりと、史実よりはましな人物に描写されているせいもありますが、演技力、表現力という点から、主役より明らかに上手だと感じました。彼のほうが主役格なのにねと、俳優チェックしたら、まーっ!『サウンド・オブ・ミュージック』のハンサムパパ!。『Dr.パルナサスの鏡』に出てきたおじーさんじゃないですか!。超イケメンだったんですね。一方、リディウス役は、ミスキャスでは?。申し訳ないが、あまりパッとしません。しかも、役柄も・・・どこに行っても「ルシラ、ルシラ」って腑抜けた英雄みたいになっちゃいましたね。ラブシーンも甘すぎるし、キスシーンも美しくないし、残念でした。でも、見事だと思うのは、前作と同様、馬がらみのシーンです。馬達を自然に撮っている感じもいいですが、人を乗せて突撃する画面が綺麗です。リディウスとコンモドゥスが対立してチャリオット(馬戦車)で鞭を互いに振りまわりながら、柵をカットなしでジャンプしていくシーンは必見。2箇所ほど、フィルムをつなぎ合わせたのだろうと思えるところもありますが、画像処理の技術などなかった時代。何度も何度も撮り直しをして本当に苦労したのだろうと思います。ドラマ的な面白さとしての評価は低いと思いますが、歴史好きさんにとっては、当時の道具や慣習など、様々な発見もあって楽しいかもしれません。

ローマ帝国の滅亡 デジタルニューマスター版 [DVD]


[監督]
アンソニー・マン
[出演]
ルシラソフィア・ローレン
リヴィウススティーヴン・ボイド(1977年6月2日/満45歳没)
コンモドゥスクリストファー・プラマー
アウレリウスアレック・ギネス(2000年8月5日/満86歳没)
ティモニデスジェームズ・メイソン(1984年7月27日/満75歳没)
ウェルラス(剣闘士/コンモドゥスの実の父) アンソニー・クエイル(1989年10月20日/満76歳没)
クリアンダー(盲目の侍従)メル・フェラー(2008年6月2日/満90歳没)
アルメニア国王オマル・シャリーフ
バロマージョン・アイアランド(1992年3月21日/満78歳没)
[検索用]ソフィア・ローレン/スティーヴン・ボイド/クリストファー・プラマー/アレック・ギネス/ジェームズ・メイソン/アンソニー・クエイル


コンモドゥス帝の父、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝は、厳格で寛容、善意の人だった。けれど、ただひとつの間違いを犯してしまう。
それは、息子コモンドゥスを後継者に指名したことだった。

1-119_2015070202411244a.jpg第17代 ローマ皇帝 ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス
161~192年(在位期間180年 - 192年)

アウレリウスの後継者として成長し、将来を期待されていたが、アウレリスの死去から3年後、実の姉の策略による彼の暗殺未遂があり、以降、猜疑心の強い人物となり、私利私欲の人物達に国務をあずけ、自身は、道楽と快楽と殺戮に溺れた生活だけをする堕落した君主と成り果てる。カリギュラ帝やネロなどと並び、ローマ皇帝のなかで最悪の君主の一人として名の挙がる人物。彼の統治12年のうちにアウレリス統治の頃の繫栄のかげは微塵もなくなり、ローマ文明はその後300年をかけてゆっくりと衰退をしていく

コンモドゥスはアウレリウス帝の10番目の子で、母親は五賢帝の4人目の皇帝、アントニヌス・ピウスの次女ファスティナ。それまでの、五賢帝の帝位継承は、養子により続いていたが、ファスティナは約30年の結婚生活の中で(ほとんどは病弱で長生きしなかったが)14人もの子供を生んだ。コンモドゥスには、男子の兄弟や双子の兄もいたが、皆、早いうちに昇天している。彼自身も体が弱く、アウレリウスは、コンモドゥスも早死にするのではないかと恐れ、幼少のうちに名医を付けた。コンモドゥスはその後、多くの病気に見舞われたが、医師の治療で辛うじて幼少期を生き延びることができた。こうしてコンモドゥスは、在位中の皇帝を父に生まれたという意味の、「紫の皇子」の渾名で呼ばれた最初の皇帝となった。彼は、アウレリウスの愛情を一身に受けて大事に育てられ、皇帝となるべく教育を早い時期から受け、戦場で勇敢に陣頭指揮をとる父と共に戦争に出兵し、成人する頃までには父とほぼ同等の政治的地位を与えられ、共同皇帝としての指名を受けた。
「ヘラクレスの化身たるコンモドゥス」

コンモドゥスには、年の離れた4人の姉がいたが、それぞれ大貴族の妻として政略結婚を行って王朝を支えていた。なかでも一番上の姉ルキッラ(作品中では妹として登場)の夫ルキウスはアウレリウスと共に共同統治者として即位した人物であった。しかしルキウスは享楽的で、政治ではあまり役に立たない君主だったようです。彼はコンモドゥスが成人する以前(169年)に亡くなっています。その後は、アウレリウスが一人で帝国を統治。ルキウスの死後、ルッキラはアウグスタの称号を与えられ(帝位継承権第三位)コンモドゥスも、ルッキラに敬意をはらっていた。

02_20150702070246d6d.jpg
         リヨン美術館「死の床のマルクス・アウレリウス」ウージェーヌ・ドラクロワ 1798-1863 (横にいるのがコンモドゥス)

178年、コンモドゥスはアウレリウスが目をかけていた名門貴族の子女クリスピナと結婚。16歳の時だった。その後アウレリスはコンモドゥスと共に戦地に駐留中に、体調を崩して闘病の末180年に亡くなってしまう。18歳のコンモドゥスは第17代ローマ皇帝として即位。ローマ帝国では2度目となる父子間の帝位継承となった。その後は、亡くなった父がやってきたように、コンモドゥスも、軍団の総司令官として前線に駐留しながら、蛮族との戦いを終わらせるための方法を模索。交渉の末、蛮族との領土線を確定し、戦争を終わらせた。捕虜となっていた軍団兵の返還、対立していた2つの部族をローマ帝国軍の監督下に置いた。その後も、周辺部族にローマへの帰順と捕虜返還を条件にした講和案を結んで戦線を安定化させた。ドナウ川流域の情勢が安定すると、コンモドゥスは、ローマ本国に帰還。180年10月凱旋式を挙行。民衆から熱狂的な歓迎を受けます。このように、最初の頃は、父が用意していた忠実な顧問官たちもおり、彼の統治はなんら失点のあるようなものではなかった。

しかし、ローマに帰ってからは、コンモドゥスは前線に滞留することがなくなります。戦争をさっさとおわらせた理由は「早く宮殿に帰りたかった」のでしょう。即位から暫くは長姉の夫クラウディス、妻の父ガイウス、首都長官アウフィディウスス、近衛隊長のペレンニスらと協力し統治を行っていたが、次第に彼らの堕落した生活に染まっていくのです。父親はコンモドゥスにあらゆる教育を注ぎ込んだが彼はまるで逆で、自分を男らしく強く見せることのほうに感心があった。剣闘士試合の愛好者で宮殿に帰ってからは、それらの見世物を気前よく提供し自分は剣闘士たちと一緒に訓練を受けるようになります。そして統治に関しては怠慢さを見せはじめ、父の統治時代で親衛隊長だった「ペレンニス」、ギリシア人解放奴隷で宮殿の侍従で愛人の男「サオテラス」、同じ解放奴隷で幼少期から自分の世話をしていた「クレアンデル」など、彼にとって都合のいい少数の人間に依存し、自身は政治的地位を維持しながら、逆に元老院達を政治的地位から締め出した。彼のこのような行為は、貴族内での反感を買っていく。

1-119_20150702073603d83.jpg
この頃、ルッキラは、自らの後夫を弟の側近にしようとしたが、コンモドゥスは妻のクリスピナの意見で、妻の親族を側近にした。彼女はおそらく酷く憤慨したのではないだろうか。さらに、コロセウムにて皇帝の姉という配慮から、皇帝の隣にルッキラが座っていたが、本来は妻を隣に置くのが慣わしであった為、ある時期に貴族達は后妃であるクリスピナに、皇帝の隣席を譲るようにと彼女に促したところ屈辱を感じ憤慨する。ルッキラは自身より地位が上の弟を嫌い、さらに皇后クリスピナも嫌った。この事で彼女は今の身分では我慢ならず、邪魔な弟の暗殺と帝位簒奪を計画するのだった。彼女は自分の二人の愛人の従兄弟のマルクスと若い議員クラウディウス・アッピウスに命じ、弟の暗殺計画を実行する。

183年のある日のコロセイムでコンモドゥスは襲われる。実行犯は「元老院の命により」と叫んで飛び掛かったため、その叫び声によりあっさりと護衛兵に捕らえられ、ルッキラの暗殺計画は未遂に終わる。コンモドゥスは敬意をもって接してきた姉に殺されかけたことに酷く傷つき、この事件以降、猜疑心に支配された悪魔へと変貌していくのです。コンモドゥスは暗殺者2人をただちに処刑したが、姉ルッキラはこのときには殺さずルッキラとその娘(姪)と、共謀していた実行犯の姉妹の1人と共に、カプリ島へ流刑にした。さらに陰謀の証拠が無いにもかかわらず妻のクリスピナも反逆罪として追放した。クリスピナは日頃から、夫に対して軽蔑を隠せなかった為である。コンモドゥスは後に、密かに彼女達全員を処刑した。
       ルッキラ

さらに、この事件は腐敗した宮殿内での策略と陰謀に利用され、悪意のある者が邪魔な人間を排除するために「あいつも共犯だと」暗殺の加担者と吹き込み、全く関係のない者たちが次々と処刑された。この時、コンモドゥスの愛人サオテラスもクレアンデルの陰謀により殺害され、クレアンデルはサオテラスの後釜に収まることとなる。そしてもう一方では、親衛隊長ペレンニスが、パテルヌスという男と親衛隊長官の座を争っていたが、ペレンニスはたまたまパテルヌスが皇帝暗殺の共謀者である事を突き止めたため、それを、コンモドゥスに告げてパテルヌスを処刑させた。こうしてペレンニスは、コンモドゥスの腹心の地位を獲得したのです。

02_20150702075718a64.jpg陰謀の根を排除したと安堵したコンモドゥスに、ペレンニスは休養をするように勧め、「国の雑事は自分が請け負うので、格闘技や性の快楽を追求しては如何でしょう」とささやく。元々怠け者で面倒な事は人任せにして、好きな事だけしていたいコンモドゥスは、自分の義務を肩代わりしてくれる上に願望を賛同してくれるのだから、こんなにいい話はないと悦脱した生活に溺れていきます。剣闘士試合では興奮し闘技場に入り参戦。彼は普段から鍛えていたので、それなりに腕は立ったが剣闘士達は皇帝に怪我などさせる訳にはいかないので、不自然でないように見せて負けるのです。またコンモドゥスは猛獣を相手にする事も好んでいたが、猛獣に皇帝を勝たせるなど理解できるはずもないので、柵をつけた舞台を作り柵の下に猛獣を放ち、彼はその舞台の上に立ち下にいる猛獣に矢を射たり剣を突き刺して殺すのです。十数年の間に彼が殺した猛獣は数百頭といわれている。さらに宮殿では、国中から300人の美女と同数の青年を集めハーレムを作り上げ見境のない乱交の日々を送った。姉達はコンモドゥスの妾にされ愛人の一人に実の母の名前をつけた。これらに意見するものが出てくると、自分がやっていることに反対する者はいつか自分を殺す。とさらに無関係の者も含めて大勢の人間を処刑する。殺した奴に子供がいれば復讐されるかもしれないと、家族ごと殺害する。ルッキラの刺客が「元老院からの指令だ」と叫んだのは、ルッキラによるカモフラージュであったが、猜疑心に病んだ彼の心は元老院までも信じることが出来ず、無関係の多くの元老院さえも殺していった。彼は、慈悲憐憫とは無縁の化け物と成り果てたのです。
       コンモドゥス

コンモドゥスが享楽にふける毎日を送っているときに、ペレンニスは権力をかさに着て、市民の私有財産や国家財産をまんまと搾取していった。彼の悪行を訴える者もいたがコンモドゥスは耳を貸さなかった。自分の仕事を肩代わりしてもらうことに満足だったのだ。しかし、ペレンニスにも終わりの時が訪れます。戦地に赴いていたペレンニスは兵士達に厳しい処罰を行っていたため、彼らの気持ちが離れていたところへ、彼は自身の息子を皇帝の後継者に仕立てようと、他の兵士の手柄を息子の手柄と偽ったのです。それが続いたため兵士達は暴動を起こしてしまう。多くの兵がローマを戻ってきて、皇帝に窮状を直訴するという事態になった。虎視眈々とチャンスを狙っていたクレアンデスはこれを見逃すはずはありません。「ペレンニスが息子を皇帝に仕立てようとしているということは、皇帝暗殺の可能性があるということ」と、口の達者な彼が、コンモドゥスにそう思わせることは朝飯前だった。そうしてコンモドゥスはペレンニスとその息子を処刑した。そして念願の腹心となったたクレアンデスですが、彼もまた帝王の信頼を武器にし、私腹を肥やしていく人物でした。しかし、その強欲さは、ペレンニスの比ではなかったのです。

02_2015070318233145c.jpg一切の公務に興味を示さないコンモドゥスは今度はクレアンデスに全権を任せ、相変わらずの日々。クレアンデスは帝国の官職全てを独占。邪魔な人間は全員破滅させた。彼は元老院議員の地位も収税官の地位も、軍隊の権限さえも全て金で売ったのです。地位を金で買っていただけの役人ばかりでは、国が機能しなくなるのも時間の問題、187年帝国各地に不満が充満。再び皇帝の暗殺未遂事件が起きる。これはクレアンデスの悪政のせいであったが、未遂で終わった事で、命を救われたとコンモドゥスは彼に感謝した。190年、クレアンデルの権力の頂点であった頃、穀物危機が発生。これを機に穀物供給長官のパピリウスは、クレアンデルの支配力を弱めようと考えた。パピリウスは食料の流通を完全に止め、クレアンデルが帝国の利益を不当に搾取しているのが飢饉の原因だとほのめかしたのです。飢えた民衆は暴徒と化し、クレアンデルと皇帝を探しに散った。ついには、隠れ家にいたところを暴徒に見つかり、クレアンデルは囚われた。怒り狂う暴徒を前にしてコンモドゥスは恐怖で身動きができなかったという。自らの生命の危険を感じたコンモドゥスはクレアンデルの処刑を命じた。クレアンデルの処刑が終わると民衆はクレアンデルの遺体に罵声を浴びせ、首を切り取り、棒に付きさすと、それを掲げて意気揚々と町を練り歩いた。
これにより民衆の怒りは沈静化する。

侍従を失ったコンモドゥスは数週間は自力で国政を司った。その一方で、民衆を暴徒化させた穀物供給長官のパピリウスがやったことが明らかになった事から彼も処刑した。これを皮切りに、自身の同僚であった近衛隊長のディオニシスや、叔母のファウスティナと義理兄マメルティヌスなどの要人を陰謀の罪に問い、片端から処刑していき、やがて、ほとんどの要人を殺し尽くしたのです。そんな混乱の中で、コンモドゥスの愛人「マルキア」は賢い女性であったあったため、背後で事態を掌握していった。あたらしい侍従も利益にかまける人物でなかった。しかし、コンモドゥスは今度は、現実と妄想の区別が付かなくなっていった。つまり彼は、とうとう狂人となってしまったのです。

彼は自身がヘラクレスであり神だと主張するようになった。行動は聊かに常軌を逸し、遂には皇帝のトーガではなく狼の毛皮を身に纏うようになった。手には伝承でヘラクレスが用いたとされる棍棒を模したメイスを持ち、神話の戦いを模すと称しては闘技場で戦士や獣を打ち殺したという。

191年、落雷による大火災によってローマ中心部の半数以上が焼け落ちる惨事が起きる。これを機にコンモドゥスはみずからの名前を冠した新しい町、新しい文明を作ろうと思いついたのです。192年、彼がローマを新しい植民地として創造しなおし、全市民に彼の名前をつけるよう命じた日を記念し、「デイエエスコンモデアヌス」(コンモドスの日)が制定された。この狂気の沙汰はいつまでつづくのか。周囲の人間達は不安を感じていた。さらに彼は、自らを「ヘラクレスの化身」に続いて「新たなるロムルス」であると宣言した。彼は再建予定地の全てに自らの名を冠した地名を名づけ、各月の呼び名を自らの全名に由来した物に変更し、帝国軍は「コモディアエ」という名に変更され、海軍のエジプト方面艦隊も「アレクサンドリア・コモディアーナ・トガタ」と名を改められた。そして遂には元老院すら「コモディアス・フォロム・セナートゥス」へ改めるように強制するに至った。更に、全ローマ人は家名として「コモディアヌス」を用いることを命じられた。この一連の布告を出した日は「コモディアヌスの祝祭」と名付けられた。

同年の大晦日。コンモドゥスは愛人のマルキアに告げた。それは新年の計画だった。通常、新年には皇帝は紫の縁取りのあるトーガをきて宮殿の外に訪れた人々の前に姿を現すことになってる。コンモドゥスはその伝統を破り、試合の時の剣闘士のスタイルで友人の剣闘士たちと一緒に闘技場まで行進するという。これを聞いたマルキアは、「皇帝の名を汚さないで欲しい」と泣き崩れた。侍従のエクレクトラスと新しい近衛隊長アエミリウスにも計画の実行を思いとどまるよう説得された為、コンモドゥスは憤慨し、翌朝処刑することになっている元老院議員のリストにこの3人の名前を書き加えた。その後、コンモドゥスが入浴している間、マルキアはそのリストを偶然見てしまい、自分たちの名前が書かれているのを発見する。驚愕した彼女は、エクレクトラスとアエミリウスにも知らせた。次に殺されるのは自分達のほう。コンモドゥスを今、殺さなければ自分達が明日の朝には殺される。時間はない。躊躇するものなどいなかった。入浴後にワインを飲む習慣のあったコンモドゥスにマルキアが毒薬入の葡萄酒を注ぐ。そして、マルキアは人払いを命じ、最後の時を迎える皇帝を、そっと見届けようとしていた。しかし、コンモドゥスは、一旦眠ったようになったが、その直後に引付を起こし、嘔吐し始めた。彼の胃の中から毒物が全て排出されてしまうのではないかと、3人はあわてて控えさせていた護衛の剣闘士ナルキッソスに、コンモドゥスの首を締めさせた。コンモドゥスは抵抗したものの、そのまま絞殺され、31歳の生涯を閉じたのです。皇帝の訃報が届くと、元老院は歓喜に沸いた。死因は脳卒中と発表され、暗殺だと疑うものなどいなかった。コンモドゥスの遺体を市中に引きまわし、デヴェレ川に投げ捨てよ、という声まで上がったが、夜の間に秘密裏に既に埋葬していたため彼の遺体は安らかに朽ち果てるにまかされた。

元老院は、変わってしまった都市の名前を再びローマに改名すると宣言。そしてコンモドゥスには最大の刑罰である[記憶の断罪] ダムナティオ・メモリアエの適用を宣言した。始末に悪い皇帝であったとして公式記録から抹消されたのです。 ローマに飾られていたヘラクレス・コンモドゥス像の多くは元老院によって破壊され、現在は1体が残るのみである。またコンモドゥスがローマ中心部に建設したアウレリウス神殿も破壊された。後に、セウェルス帝がコンモドゥスの名誉を回復し、神として神殿に祀りましたが、それまで彼の存在は忌避され続けたのです。

[同時代の歴史家の評価]
コモンドゥスはかならずしも悪人ではなかったが、ローマ人にいかなる悪疫や犯罪よりも大きな呪いをもたらした。彼を変人と評するだけでは、その並外れた理不尽さをとても表現しきれない。彼は文字通り狂っていたと考えられるだけの根拠が揃っているのだ。そして、歴代の皇帝の多くが悩まされた被害妄想にくわえ、彼は単純であやつられやすい側面ももっており、邪悪な目的のために利用しようとする人々の、格好の餌食となったのである。(歴史家/ディオ・カッシウス)

ローマ教皇歴代誌(書籍)


★外部関連記事★

読書と映画/【洋画:歴史】 ローマ帝国の滅亡
古今東西、ローマ帝国に限らず暴君・暗君は、たくさん出現していますが、(私見ですが)大別すると2パターンに分かれるような気がします。1つは、政治・国政には関心が無く、政治向きのことは放棄(他人に丸投げ)し、享楽にふけるタイプ。コンモドゥス帝は、典型的にこのタイプなのでしょうね。もう1つは、自分の能力や理念を信じて疑わず、その実現のために無茶苦茶をするタイプ。ヒトラーなんかはこのタイプですし、このブログで感想を書いた小説『王家の風日』の主人公・商王朝の紂王なんかもこのタイプなのでしょう。で、どちらのパターンでも、大抵の場合は、周囲からの信頼を失い、さらには、反旗を翻そうと考える者も現れてくるようになり、それを押さえるために粛正、その粛正が更なる反感を招き、という感じで、粛正→反感→粛正・・・ということが繰り返され、ついには非業の最期を遂げるということが多いように感じます。


スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

ブログ内検索
ブログ内ページランキング
外部アクセス元ランキング
プロフィール

ちゃのりん

Author:ちゃのりん
映画から歴史を探るのが好きです。
俳優&映画紹介と、ノンフィクション映画の実在の人物像も探ります。


★好きな俳優★

ジョナサン・リースマイヤーズ

ssssj.jpg


お気楽ブログ55011enn_20150420222943fef.jpg


アクセスランキング
[ジャンルランキング]
映画
183位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
洋画
18位
アクセスランキングを見る>>

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ
にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ

新作映画情報「ぴあ映画生活」ドラマ
アクセスカウンター



RSSリンクの表示


お役立ち
ブログ翻訳
favorite
・★前田有一の超映画批評★

・映画ライター渡まち子の映画評

・死ぬまでに一度は行ってみたい場所

・イナダ・ラングエイズ研究財団(ILFAR)稲田頼太郎

・NPO法人イルファー稲田頼太郎
(One Coin のご寄付を!)

・薬屋のおやじのボヤキ

・世界飛び地領土研究会
・欧州:世界遺産めぐり

・不思議館 古代の不思議

・KIKIの今日

・面白いおすすめ映画20選!騙されたと思って観て欲しい【最新版】

カテゴリ
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスランキング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。