アクセスランキング
--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2014-09-26(Fri)

ジャンヌ・ダルク/戦意の気息

1999年 フランス/アメリカ
ジャンヌ・ダルク(まえがき)イギリスとフランスの100年戦争終結の先導者となった、「ジャンヌ・ダルク」の物語です。時代は15世紀、ヴァロア家4代目「狂気王」シャルル6世は精神に異常をきたし国を統治できなかったため、国内ではその摂政の座をめぐり、弟のオルレアン公が率いるアルマニャック派と、従兄弟のジャン1世が率いるブルゴーニュ派とが対立。この混乱を期とし侵略してきたイングランドにより、フランスは北部の多くの領地を奪われていた。その渦中、シャルル6世の王大子4人が次々死んでしまうと、5男のシャルル(のちのシャルル7世)が王太子となった。彼は国内の混乱を収めるべく、ブルゴニュー派との和平交渉を試みたが、交渉の席において王太子を支持しているアルマニャック派がジャン1世(無怖公)を殺害してしまったことで交渉は決裂。父を殺された息子のフリップ3世(善良公)はこれによりイギリスと手を組んでしまい。王大子フィリップと全面的に対立。ブルゴニュー派の後押しもあり、シャルル6世妃イザボーはイングランドとの「トロワ条約」にサインをしてしまう。この条約はシャルル6世の娘カトリーヌとヘンリー5世が婚姻を結び、シャルル6世の王位はその終生まで認めることとし、その後はイングランドのヘンリー5世、またはその息子ヘンリー6世が後継者になるとしたもので事実上イングランド・フランス連合王国を実現するものであり、イングランドにとっては圧倒的に有利な条約だった。当然、王太子シャルルとアルマニャック派はこの決定を不服とし、イングランド連合軍に抵抗するが、シャルルの廃嫡を認めたトロワ条約は三部会で承認される。すると、1422年8月ヘンリー5世は赤痢で急死、同年10月にはシャルル6世も死去したため、事態は再び混迷をはじめる。イングランドはトロワ条約に則り、生まれたばかりのヘンリー6世をイングランド王位とフランス王位に就けた。これに対し王太子はシャルル7世を名乗り抵抗を続けていた。 しかし、フランスの多くの地がイングランドとブルゴーニュ公国での支配下となっており、そのひとつ、先祖代々が戴冠式を行っている「ランス」も、ブルゴーニュ領地内にあった為、シャルル王太子は戴冠式を行うことも出来ず、侵略してくるイングランド軍にも対し、打つ手がなかったという状態だった。

(あらすじ)
シャルル王太子の敵国イングランドはパリとルーアンを占領すると、フランスの戦略上の要衝地でもあったオルレアンを包囲。この地はフランス中心部への侵攻を防ぐ最後の砦であり、陥落が時間の問題であった。そんな危機的状況下に現れたのが「軍を駆逐し王太子をランスへと連れて行きフランス王位に就けよ」と、神より啓示を受けたと接近してきた、わずか17歳の田舎娘「ジャンヌ・ダルク」だった。

img3390683874788_2014092414375897b.jpg

当時、王太子シャルルはシノン城にいた。ジャンヌは彼に謁見するため訪れたが、シャルルは彼女が本当に神に使かわされた者であるのかと、自分の席に他の貴族を座らせ、自身は他の貴族の中に紛れ込んでいた。ジャンヌはそれを見破り、シャルルも他の貴族達もこれに驚いた。こうして王室ではジャンヌが本当に神の使いなのかと様々な審議と調査がなされ、さらに神からの印を提示せよとの要求にもジャンヌは答え周囲を納得させた。シャルルは「神の啓示」を信じ、王太子の義母ヨランド・ダラゴンもジャンヌが神の使者だと認め、彼女の要求どおり軍を与えた。こうしてジャンヌは、オルレアン目指し出発する。フランスの兵たちもジャンヌが神に使わされた者であると信じ戦いに望んだ。ジャンヌは先頭で旗を振り、兵隊の士気を鼓舞。イングランド軍に勝利してオルレアンを解放するという快進撃を果す。勢いに乗ったフランス軍は、イングランド軍に連戦連勝し、占領されていた領土を次々と取り戻していった。この連続の勝利に民衆は喝采を送り、多くの者が彼女の戦功を認め支持した。そして、1429年、王太子は取り戻したランスの地で「シャルル7世」として戴冠式を挙げる。

hanachanono-img600x450-1397116858c6exsa18021_20140924153427aa3.jpg

しかし、王になった途端、シャルル7世は安心し戦いに非協力的になってしまう。 彼はブルゴーニュ派やイングランドと話し合いによる和平交渉を進めようとしていた。ジャンヌは攻撃に行くべきだと進言した。しかし、すでに王となった彼には、ジャンヌは用済みの存在となっていたのだった。ジャンヌは王の考えを無視し戦いを続ける。パリに向かって、侵攻を進めるが戦局は困難を喫した。シャルル7世はこの戦闘でジャンヌが要求した援軍を送ることをしなかった。ジャンヌはパリを目前にしながらあと一歩のところで退却する。ジャンヌはシャルル7世に改めて兵を要求するも叶わず、少ない兵で侵攻を続けるが、案の定ブルゴニュー派に囚われてしまう。

img3390683874788_2014092500460973d.jpg

シャルル7世はジャンヌの身代金を払うことはしなかった、かわりにイングランドが彼女を買い受けてしまい、ジャンヌは敵に引き渡される。宣教師達の中には公平な裁判をしようとした者もいたが、イングランドがそれを許さなかった。理不尽な裁判と、男達の策略により陥れられ、ジャンヌは19歳で火刑に処される。


[あとがき]
この作品のジャンヌ・ダルクは、史実とはかけ離れているように思います。映画中では、彼女の心理描写として、「自身の良心」と対話をするシーンを取り入れていますが、その良心は彼女に自身の自惚れや思いあがりなどを認めさせて精神的に落としいれています。さらに、彼女はヒステリックで、感情の起伏が激しく、大勢の人々や兵士達に支持されたとは思えないような人物として表現されているように思えます。従って、戦いに挑む様にも兵士達に支持されている事が不自然に映るのです。戦闘シーンもジャンヌが喚いているセリフのセンスのなさに、白けてしまう部分もあり、さらに死刑台で体が焼かれるシーンを執拗に延々と撮影していることも、後味の悪さ極まりないです。また、作品中では戴冠後のシャルル7世が、和平交渉を進めて、ジャンヌが愚かにも、王の意を無視して勝手にパリに攻め込んで捕まったとなっていますが、実際にはそうではなく、ジャンヌは休戦すべきではないと判断し王に訴えるも、一旦、王の命に従い休戦しているのです。案の定、この休戦中に敵は和平交渉をすると見せかけて軍備を蓄えます。判断を誤ったのはシャルル7世でした。そしてブルゴーニュ公国との和平交渉に失敗したフランスは、再びジャンヌの兵をパリに向かわせたが、ブルゴーニュ公国軍には既に6,000人の援軍が到着しており、一方ジャンヌの軍には援軍は送られませんでした。彼女は兵士たちにコンピエーニュ城塞近くへの撤退を命じ、自身はしんがりとなって戦いぬく決心をします。これこそ聖女たる所以です。圧倒的な数の敵の兵士の前でジャンヌは矢を受け、捕らえられてしまう。ジャンヌは、常に「神」を前面に押し出し、フランスの指揮をとりましたが、それが当初から、戦いのための手段として緻密に計算し利用したものなのか、または精神的な疾患であったのか、それとも単なる思い込みだったのか、知る由もありませんが、いずれにしても、人々を魅了し、兵士の士気を上げて、次々と勝利したのは紛れもない事実です。ジャンヌの功績は、後年の多くの歴史人と歴代の英雄達も認める神話的形象なのです。そのカリスマ性をとことん追求して、「フランスを救った英雄」として描いていたら、たとえ最後は死刑台に登ったとしても、もう少しは、聖人たる所以を感じさせる作品に仕上げることができたのではないかと思うのです。実は作品の撮影当時、監督のリュック・ベッソンと主演のミラ・ジョボヴィッチは夫婦でしたが、公開の年に離婚しています。だから、ひょっとすると製作中は二人の関係は、かなり険悪だったのかもしれませんね。まるで、奥様に対する恨みが、出ちゃってるのかしら??・・とも感じられる、お粗末な仕上がり。史実のジャンヌが気の毒と思ってしまいました。

ジャンヌ・ダルク [DVD]


[監督]
リュック・ベッソン

[出演者]
ジャンヌ・ダルクミラ・ジョボヴィッチ
ジャンヌの良心ダスティン・ホフマン
シャルル7世ジョン・マルコヴィッチ
ヨランド・ダラゴンフェイ・ダナウェイ
ジル・ド・レヴァンサン・カッセル
デュノワ伯チェッキー・カリョ
アランソン公パスカル・グレゴリー
ドーロン デズモンド・ハリントン
ラ・イル リチャード・ライディングス
ジャンヌ〈幼少時代〉 ジェーン・バレンタイン
検索用/ミラ・ジョボヴィッチ/ダスティン・ホフマン/マルコヴィッチ/フェイ・ダナウェイ



[ジャンヌの裁判と死後]
10550818_885731464789431_1575978067476541207_n.jpg0013_20140927051903cef.jpg
当時、魔女は「非処女」とされていた。フランスがジャンヌを受け入れたのは、彼女が処女であったため魔女ではないと判断したというのも要因のひとつである。ジャンヌが牢に拘禁中、卑劣にもイングランドの宰相ベドフォード公ジョンの策略により、彼女を異端者として死刑にする為、レイプさせ、(作品中ではレイプシーンは省かれています。)男の服を与え、彼女はそれを身を守るため着用し、火刑となった。彼女が没してから、22年後、百年戦争は終結し、その数年後に、裁判のやり直しが提唱され、復権裁判が開始された。男物の着衣を身にまとう事は異端とされたがジャンヌは拘禁されていたため例外とされた。1456年7月、異端者の烙印を取り下げられ無実と殉教が宣言された。それから約500年後の1909年、ローマ教皇ピウス10世によって聖人に認定され、聖列に加えられた。


[シャルル7世(勝利王)]
tyanoo-img569x480-14009448434loe5845232.jpgヴァロア朝第5代のフランス国王。在位1422‐61年。シャルル6世の10番目の子で五男であるが、母イザボー・ド・バヴィエールは夫シャルル6世が発狂した後、王弟オルレアン公ルイと関係を持ち、トロワ条約でイングランド王ヘンリー5世の王位継承を認め、王太子シャルルがシャルル6世の子ではない事を示唆したという。イザボーはアルマニャック伯ベルナール7世、ジャン無怖公との関係も噂され、反対派から「淫乱王妃」と呼ばれていた。シャルルはその出生の疑惑に長い間悩んできた。トロアの和約では王位継承権を否認され、治世当初は非合法の王として、ブールジュを拠点にギュイエンヌを除く南フランスを統治するのみであった。しかし、幸運にもジャンヌ・ダルクの出現によって、フランス国王として正式に戴冠されることとなる。後に「フランスは女(イザボー)によって破滅し、娘(ジャンヌ・ダルク)によって救われた」との言葉が流布した。シャルル7世はジャンヌがコンピエーニュの戦いで捕虜となった時、ブルゴーニュ公にジャンヌをイングランド軍に引き渡した場合、王太子側の捕虜のブルゴーニュ派に対しても同様の扱いをするという脅迫紛いの特使を送ったという。しかし多額の身代金を惜しんだのか、あるいは国庫が底をついていたのか、一説では「小娘一人の命で済めば安いもの」と言ったか言わないか真実は判らないが、いずれにしてもジャンヌを見殺しにしたという側面からは歴史家達の評価は低い。シャルル7世はその後、ブルゴーニュ派と和解し、ブルゴーニュの兵と共にフランス軍は着実に勢力を伸ばし、1449年にはイングランドからルーアンを奪回、翌年にはフォルミニーの戦いでイングランド軍を破ってノルマンディーを奪回した。さらに1453年のカスティヨンの戦いでギュイエンヌを奪回し、彼はフランスにおけるイングランド領の大半を奪取すると共に、百年戦争に終止符を打った。シャルル7世はその後、荒廃した国内の復興に励み、財政の再建や官僚機構の整備などを行ない高い評価を得ている。しかし晩年は王の退位を謀っていた息子ルイ11世との対立に苦しみ、51歳で死去した。一説には息子との争いで毒殺を恐れ食事を拒み餓死したのではないかとも推測されている。

※ヴァロア家はシャルル7世の孫、7代目君主シャルル8世で本流は断絶する。王位はヴァロア家3代君主シャルル5世の玄孫ヴァロワ=アングレーム家のフランソワ1世に移り、その息子アンリ2世の(当初は)庶子とされた子孫がヴァロア家の末裔、首飾り事件の「ジャンヌ・ド・ヴァロワ=サン=レミ」に繋がる。(ヴァロワ=アングレーム家も5代続くが、僅か14年程度で断絶している)



◆内部関連記事◆

ヴァロア家の末裔もジャンヌ、でもこちらは悪女?→マリー・アントワネットの首飾り


★外部関連記事★
しづのをだまき/映画「ジャンヌ・ダルク」
ジャンヌ・ダルクについては10歳のころ「オルレアンの少女」(シラー原作か)をカバヤ文庫で読み鮮烈な印象を受けた。20歳ごろバーナード・ショーの「聖ジョーン」これは皮肉とユーモア満載で、悲壮感はなく、とても面白かった。独・英のジャンヌと違うのは、仏らしい合理主義が出ていて、ジャンヌは声や幻も「自分の見たい、聞きたいと望むものを見て、聞いたのだ」と納得するし、幼いとき突然傍らに刀剣が出現したというのも、その可能性を様々な例を挙げて、奇跡ではないと説明している。主演女優ミラはウクライナのキエフ生まれの23歳で、当時監督の妻でもあった。自分の名前すら書けない単純無知な田舎娘を演じるのにピッタリだと見込まれたわけだが、この映画の後、ほどなく離婚している。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

ブログ内検索
ブログ内ページランキング
外部アクセス元ランキング
プロフィール

ちゃのりん

Author:ちゃのりん
映画から歴史を探るのが好きです。
俳優&映画紹介と、ノンフィクション映画の実在の人物像も探ります。


★好きな俳優★

ジョナサン・リースマイヤーズ

ssssj.jpg


お気楽ブログ55011enn_20150420222943fef.jpg


アクセスランキング
[ジャンルランキング]
映画
225位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
洋画
26位
アクセスランキングを見る>>

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ
にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ

新作映画情報「ぴあ映画生活」ドラマ
アクセスカウンター



RSSリンクの表示


お役立ち
ブログ翻訳
favorite
・★前田有一の超映画批評★

・映画ライター渡まち子の映画評

・死ぬまでに一度は行ってみたい場所

・イナダ・ラングエイズ研究財団(ILFAR)稲田頼太郎

・NPO法人イルファー稲田頼太郎
(One Coin のご寄付を!)

・薬屋のおやじのボヤキ

・世界飛び地領土研究会
・欧州:世界遺産めぐり

・不思議館 古代の不思議

・KIKIの今日

・面白いおすすめ映画20選!騙されたと思って観て欲しい【最新版】

カテゴリ
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスランキング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。