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2014-09-26(Fri)

ジャンヌ・ダルク/戦意の気息

1999年 フランス/アメリカ
ジャンヌ・ダルク(まえがき)イギリスとフランスの100年戦争終結の先導者となった、「ジャンヌ・ダルク」の物語です。時代は15世紀、ヴァロア家4代目「狂気王」シャルル6世は精神に異常をきたし国を統治できなかったため、国内ではその摂政の座をめぐり、弟のオルレアン公が率いるアルマニャック派と、従兄弟のジャン1世が率いるブルゴーニュ派とが対立。この混乱を期とし侵略してきたイングランドにより、フランスは北部の多くの領地を奪われていた。その渦中、シャルル6世の王大子4人が次々死んでしまうと、5男のシャルル(のちのシャルル7世)が王太子となった。彼は国内の混乱を収めるべく、ブルゴニュー派との和平交渉を試みたが、交渉の席において王太子を支持しているアルマニャック派がジャン1世(無怖公)を殺害してしまったことで交渉は決裂。父を殺された息子のフリップ3世(善良公)はこれによりイギリスと手を組んでしまい。王大子フィリップと全面的に対立。ブルゴニュー派の後押しもあり、シャルル6世妃イザボーはイングランドとの「トロワ条約」にサインをしてしまう。この条約はシャルル6世の娘カトリーヌとヘンリー5世が婚姻を結び、シャルル6世の王位はその終生まで認めることとし、その後はイングランドのヘンリー5世、またはその息子ヘンリー6世が後継者になるとしたもので事実上イングランド・フランス連合王国を実現するものであり、イングランドにとっては圧倒的に有利な条約だった。当然、王太子シャルルとアルマニャック派はこの決定を不服とし、イングランド連合軍に抵抗するが、シャルルの廃嫡を認めたトロワ条約は三部会で承認される。すると、1422年8月ヘンリー5世は赤痢で急死、同年10月にはシャルル6世も死去したため、事態は再び混迷をはじめる。イングランドはトロワ条約に則り、生まれたばかりのヘンリー6世をイングランド王位とフランス王位に就けた。これに対し王太子はシャルル7世を名乗り抵抗を続けていた。 しかし、フランスの多くの地がイングランドとブルゴーニュ公国での支配下となっており、そのひとつ、先祖代々が戴冠式を行っている「ランス」も、ブルゴーニュ領地内にあった為、シャルル王太子は戴冠式を行うことも出来ず、侵略してくるイングランド軍にも対し、打つ手がなかったという状態だった。

(あらすじ)
シャルル王太子の敵国イングランドはパリとルーアンを占領すると、フランスの戦略上の要衝地でもあったオルレアンを包囲。この地はフランス中心部への侵攻を防ぐ最後の砦であり、陥落が時間の問題であった。そんな危機的状況下に現れたのが「軍を駆逐し王太子をランスへと連れて行きフランス王位に就けよ」と、神より啓示を受けたと接近してきた、わずか17歳の田舎娘「ジャンヌ・ダルク」だった。

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当時、王太子シャルルはシノン城にいた。ジャンヌは彼に謁見するため訪れたが、シャルルは彼女が本当に神に使かわされた者であるのかと、自分の席に他の貴族を座らせ、自身は他の貴族の中に紛れ込んでいた。ジャンヌはそれを見破り、シャルルも他の貴族達もこれに驚いた。こうして王室ではジャンヌが本当に神の使いなのかと様々な審議と調査がなされ、さらに神からの印を提示せよとの要求にもジャンヌは答え周囲を納得させた。シャルルは「神の啓示」を信じ、王太子の義母ヨランド・ダラゴンもジャンヌが神の使者だと認め、彼女の要求どおり軍を与えた。こうしてジャンヌは、オルレアン目指し出発する。フランスの兵たちもジャンヌが神に使わされた者であると信じ戦いに望んだ。ジャンヌは先頭で旗を振り、兵隊の士気を鼓舞。イングランド軍に勝利してオルレアンを解放するという快進撃を果す。勢いに乗ったフランス軍は、イングランド軍に連戦連勝し、占領されていた領土を次々と取り戻していった。この連続の勝利に民衆は喝采を送り、多くの者が彼女の戦功を認め支持した。そして、1429年、王太子は取り戻したランスの地で「シャルル7世」として戴冠式を挙げる。

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しかし、王になった途端、シャルル7世は安心し戦いに非協力的になってしまう。 彼はブルゴーニュ派やイングランドと話し合いによる和平交渉を進めようとしていた。ジャンヌは攻撃に行くべきだと進言した。しかし、すでに王となった彼には、ジャンヌは用済みの存在となっていたのだった。ジャンヌは王の考えを無視し戦いを続ける。パリに向かって、侵攻を進めるが戦局は困難を喫した。シャルル7世はこの戦闘でジャンヌが要求した援軍を送ることをしなかった。ジャンヌはパリを目前にしながらあと一歩のところで退却する。ジャンヌはシャルル7世に改めて兵を要求するも叶わず、少ない兵で侵攻を続けるが、案の定ブルゴニュー派に囚われてしまう。

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シャルル7世はジャンヌの身代金を払うことはしなかった、かわりにイングランドが彼女を買い受けてしまい、ジャンヌは敵に引き渡される。宣教師達の中には公平な裁判をしようとした者もいたが、イングランドがそれを許さなかった。理不尽な裁判と、男達の策略により陥れられ、ジャンヌは19歳で火刑に処される。


[あとがき]
この作品のジャンヌ・ダルクは、史実とはかけ離れているように思います。映画中では、彼女の心理描写として、「自身の良心」と対話をするシーンを取り入れていますが、その良心は彼女に自身の自惚れや思いあがりなどを認めさせて精神的に落としいれています。さらに、彼女はヒステリックで、感情の起伏が激しく、大勢の人々や兵士達に支持されたとは思えないような人物として表現されているように思えます。従って、戦いに挑む様にも兵士達に支持されている事が不自然に映るのです。戦闘シーンもジャンヌが喚いているセリフのセンスのなさに、白けてしまう部分もあり、さらに死刑台で体が焼かれるシーンを執拗に延々と撮影していることも、後味の悪さ極まりないです。また、作品中では戴冠後のシャルル7世が、和平交渉を進めて、ジャンヌが愚かにも、王の意を無視して勝手にパリに攻め込んで捕まったとなっていますが、実際にはそうではなく、ジャンヌは休戦すべきではないと判断し王に訴えるも、一旦、王の命に従い休戦しているのです。案の定、この休戦中に敵は和平交渉をすると見せかけて軍備を蓄えます。判断を誤ったのはシャルル7世でした。そしてブルゴーニュ公国との和平交渉に失敗したフランスは、再びジャンヌの兵をパリに向かわせたが、ブルゴーニュ公国軍には既に6,000人の援軍が到着しており、一方ジャンヌの軍には援軍は送られませんでした。彼女は兵士たちにコンピエーニュ城塞近くへの撤退を命じ、自身はしんがりとなって戦いぬく決心をします。これこそ聖女たる所以です。圧倒的な数の敵の兵士の前でジャンヌは矢を受け、捕らえられてしまう。ジャンヌは、常に「神」を前面に押し出し、フランスの指揮をとりましたが、それが当初から、戦いのための手段として緻密に計算し利用したものなのか、または精神的な疾患であったのか、それとも単なる思い込みだったのか、知る由もありませんが、いずれにしても、人々を魅了し、兵士の士気を上げて、次々と勝利したのは紛れもない事実です。ジャンヌの功績は、後年の多くの歴史人と歴代の英雄達も認める神話的形象なのです。そのカリスマ性をとことん追求して、「フランスを救った英雄」として描いていたら、たとえ最後は死刑台に登ったとしても、もう少しは、聖人たる所以を感じさせる作品に仕上げることができたのではないかと思うのです。実は作品の撮影当時、監督のリュック・ベッソンと主演のミラ・ジョボヴィッチは夫婦でしたが、公開の年に離婚しています。だから、ひょっとすると製作中は二人の関係は、かなり険悪だったのかもしれませんね。まるで、奥様に対する恨みが、出ちゃってるのかしら??・・とも感じられる、お粗末な仕上がり。史実のジャンヌが気の毒と思ってしまいました。

ジャンヌ・ダルク [DVD]


[監督]
リュック・ベッソン

[出演者]
ジャンヌ・ダルクミラ・ジョボヴィッチ
ジャンヌの良心ダスティン・ホフマン
シャルル7世ジョン・マルコヴィッチ
ヨランド・ダラゴンフェイ・ダナウェイ
ジル・ド・レヴァンサン・カッセル
デュノワ伯チェッキー・カリョ
アランソン公パスカル・グレゴリー
ドーロン デズモンド・ハリントン
ラ・イル リチャード・ライディングス
ジャンヌ〈幼少時代〉 ジェーン・バレンタイン
検索用/ミラ・ジョボヴィッチ/ダスティン・ホフマン/マルコヴィッチ/フェイ・ダナウェイ



[ジャンヌの裁判と死後]
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当時、魔女は「非処女」とされていた。フランスがジャンヌを受け入れたのは、彼女が処女であったため魔女ではないと判断したというのも要因のひとつである。ジャンヌが牢に拘禁中、卑劣にもイングランドの宰相ベドフォード公ジョンの策略により、彼女を異端者として死刑にする為、レイプさせ、(作品中ではレイプシーンは省かれています。)男の服を与え、彼女はそれを身を守るため着用し、火刑となった。彼女が没してから、22年後、百年戦争は終結し、その数年後に、裁判のやり直しが提唱され、復権裁判が開始された。男物の着衣を身にまとう事は異端とされたがジャンヌは拘禁されていたため例外とされた。1456年7月、異端者の烙印を取り下げられ無実と殉教が宣言された。それから約500年後の1909年、ローマ教皇ピウス10世によって聖人に認定され、聖列に加えられた。


[シャルル7世(勝利王)]
tyanoo-img569x480-14009448434loe5845232.jpgヴァロア朝第5代のフランス国王。在位1422‐61年。シャルル6世の10番目の子で五男であるが、母イザボー・ド・バヴィエールは夫シャルル6世が発狂した後、王弟オルレアン公ルイと関係を持ち、トロワ条約でイングランド王ヘンリー5世の王位継承を認め、王太子シャルルがシャルル6世の子ではない事を示唆したという。イザボーはアルマニャック伯ベルナール7世、ジャン無怖公との関係も噂され、反対派から「淫乱王妃」と呼ばれていた。シャルルはその出生の疑惑に長い間悩んできた。トロアの和約では王位継承権を否認され、治世当初は非合法の王として、ブールジュを拠点にギュイエンヌを除く南フランスを統治するのみであった。しかし、幸運にもジャンヌ・ダルクの出現によって、フランス国王として正式に戴冠されることとなる。後に「フランスは女(イザボー)によって破滅し、娘(ジャンヌ・ダルク)によって救われた」との言葉が流布した。シャルル7世はジャンヌがコンピエーニュの戦いで捕虜となった時、ブルゴーニュ公にジャンヌをイングランド軍に引き渡した場合、王太子側の捕虜のブルゴーニュ派に対しても同様の扱いをするという脅迫紛いの特使を送ったという。しかし多額の身代金を惜しんだのか、あるいは国庫が底をついていたのか、一説では「小娘一人の命で済めば安いもの」と言ったか言わないか真実は判らないが、いずれにしてもジャンヌを見殺しにしたという側面からは歴史家達の評価は低い。シャルル7世はその後、ブルゴーニュ派と和解し、ブルゴーニュの兵と共にフランス軍は着実に勢力を伸ばし、1449年にはイングランドからルーアンを奪回、翌年にはフォルミニーの戦いでイングランド軍を破ってノルマンディーを奪回した。さらに1453年のカスティヨンの戦いでギュイエンヌを奪回し、彼はフランスにおけるイングランド領の大半を奪取すると共に、百年戦争に終止符を打った。シャルル7世はその後、荒廃した国内の復興に励み、財政の再建や官僚機構の整備などを行ない高い評価を得ている。しかし晩年は王の退位を謀っていた息子ルイ11世との対立に苦しみ、51歳で死去した。一説には息子との争いで毒殺を恐れ食事を拒み餓死したのではないかとも推測されている。

※ヴァロア家はシャルル7世の孫、7代目君主シャルル8世で本流は断絶する。王位はヴァロア家3代君主シャルル5世の玄孫ヴァロワ=アングレーム家のフランソワ1世に移り、その息子アンリ2世の(当初は)庶子とされた子孫がヴァロア家の末裔、首飾り事件の「ジャンヌ・ド・ヴァロワ=サン=レミ」に繋がる。(ヴァロワ=アングレーム家も5代続くが、僅か14年程度で断絶している)



◆内部関連記事◆

ヴァロア家の末裔もジャンヌ、でもこちらは悪女?→マリー・アントワネットの首飾り


★外部関連記事★
しづのをだまき/映画「ジャンヌ・ダルク」
ジャンヌ・ダルクについては10歳のころ「オルレアンの少女」(シラー原作か)をカバヤ文庫で読み鮮烈な印象を受けた。20歳ごろバーナード・ショーの「聖ジョーン」これは皮肉とユーモア満載で、悲壮感はなく、とても面白かった。独・英のジャンヌと違うのは、仏らしい合理主義が出ていて、ジャンヌは声や幻も「自分の見たい、聞きたいと望むものを見て、聞いたのだ」と納得するし、幼いとき突然傍らに刀剣が出現したというのも、その可能性を様々な例を挙げて、奇跡ではないと説明している。主演女優ミラはウクライナのキエフ生まれの23歳で、当時監督の妻でもあった。自分の名前すら書けない単純無知な田舎娘を演じるのにピッタリだと見込まれたわけだが、この映画の後、ほどなく離婚している。

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2014-09-18(Thu)

ウィレム・デフォー Willem Dafoe プロフィール

ウィレム・デフォーアメリカの俳優、ウィスコンシン州出身。1955年7月22日生まれ (2014年現在59歳)
身長177cm。劇団ウースター・グループの創設メンバーとして知られる。

父親は外科医、母親は看護婦の家庭で、8人兄弟の7番目として生まれる。「ウィレム」とは幼少時の頃からの愛称です。兄弟達は、医者や弁護士などになっているが、デフォーは、そんな兄弟達とは異なり、ウィスコンシン大学に在籍中、演技に魅せられて中退し俳優を目指すようになる。そして前衛劇団シアターXに加わり、四年間ヨーロッパの各地を公演で廻ったあと、ニューヨークでエリザベス・レコンテの率いる劇団に加わります。1981年には、『天国の門』で初めて映画に出演するも、決定版でカットされてしまいますが、翌年『ラブレス』で主役を演じると、その後は、主要的な配役が多くなり、1985年の『L.A.大捜査線 狼たちの街』で注目を集め、さらに1986年の『プラトーン』では、強烈な印象を残す演技で、アカデミー助演男優賞のノミネートにも上がります。2000年の『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』でもインディペンデント・スピリット賞 助演男優賞を受賞し、2度目のアカデミー助演男優賞のノミネートにも上がっている。スパイダーマンでは、悪役グリーンゴブリンを三部作で演じていることでも知られます。
個性的な容姿と演技力で印象強く、どんな役をこなしても観る人の記憶に残る方です。

2007年には第57回ベルリン国際映画祭で審査員を務め、2014年のカンヌ映画祭でも審査員を務めた。広告関連では1990年にプラダのCMにも出演。私生活では2005年女優のジアダ・コラグランデと結婚。ジアダとの結婚前にパートナーだった女性との間に息子が一人いる。


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『プラトーン』での名シーン                『ストリート・オブ・ファイヤー』暴走集団のリーダー役も強烈  『ハンター』のマーティン



★受賞★
1986年『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』助演男優賞 受賞

[出演作品]

1982年 ラブレス
1983年 ハンガー
1984年 ロードハウス66/ストリート・オブ・ファイヤー
1985年 L.A.大捜査線/狼たちの街
1986年 プラトーン
1988年 サイゴン/最後の誘惑/ミシシッピー・バーニング
1989年 生きるために/7月4日に生まれて
1990年 クライ・ベイビー/ワイルド・アット・ハート
1991年 イントルーダー 怒りの翼
1992年 ホワイト・サンズ/ライト・スリーパー
1993年 BODY/ボディ/時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!
1994年 愛しすぎて 詩人の妻/今そこにある危機
1995年 欲望の華/ヴィクトリー遥なる大地
1996年 バスキア/イングリッシュ・ペイシェント
1997年 スピード2/白い刻印
1998年 ルル・オン・ザ・ブリッジ
1999年 イグジステンズ/処刑人
2000年 アメリカン・サイコ/アニマル・ファクトリー/シャドウ・オブ・ヴァンパイア
2001年 楽園の女/ぼくの神さま
2002年 スパイダーマン/ボブ・クレイン 快楽を知ったTVスター
2003年 ファインディング・ニモ/レジェンド・オブ・メキシコ
2004年 二重誘拐/スパイダーマン2/ライフ・アクアティック/コントロール/アビエイター
2005年 マンダレイ/トリプルX ネクスト・レベル/誘惑の微笑/リプリー 暴かれた贋作
2006年 インサイド・マン/アメリカン・ドリームズ/パリ、ジュテーム
2007年 Mr. ビーン カンヌで大迷惑?!/スパイダーマン3/ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ ~彩られた猟奇~
2009年 アンチクライスト/ファンタスティック Mr.FOX/ダレン・シャン/処刑人II/ディブレーカー/狂気の行方/フェアウエル さらば、哀しみのスパイ
2010年 ミラル
2011年 ハンター/4:44 地球最期の日
2012年 ジョン・カーター
2013年 誰よりも狙われた男/ニンフォマニアック Vol.2
2014年 インファナル・ディール 野蛮な正義/グランド・ブダペスト・ホテル



★外部関連記事★

こんな映画観たよ!-あらすじと感想-/ハンター : 男の中の男が見せる優しさ ―
演者の中では、やはりウィレム・デフォーの存在感が抜群でした。さすが、名優と呼ばれるに相応しいだけのことはありますね。彼の場合、どんな役柄でも見事にこなしますが、本作のような孤独な男が特に似合いますよ。孤独の中でたまに見せる優しさ、男ですねぇ。

2014-09-13(Sat)

8Mile/白人ラッパーが目指した8マイルは世界のスターダムに変化した

2002年 アメリカ
8mile.jpg白人ラッパーエミネムの半自伝的映画。2004年当時、彼の曲をはじめて聴いたのは街中で。「ルーズ・ユアセルフ」です。一度聞いただけでこの曲が好きになった。ラップの概念が180度覆された曲でした。曲名を聞いて音楽をダウンロードし「エミネムというアーティストが歌っている」という情報以外は調べずに曲をしばらく楽しんでいたのですが、この「8Mile」の主題歌で、本人が主役を演じていることを知ったのは、それから何年もしてから。ジャケットだけを見て、気まぐれで借りたこのDVD。再生して驚いたのはいうまでもありません。エミネムの顔はおろか彼の恵まれなかった環境さえ知らなかったので、興味深く観ることができました。半自伝なので、どこまで事実かというのは明確ではありませんが、対立グループや女性関係などの部分が脚色されている程度ではないでしょうか。成功への一歩や家族環境については事実を曲げられていることはないでしょうから。スクリーンに映る彼の眼光が良かったです。現状を乗り越えようとする挑戦的なイメージが表れていました。終盤のラップバトルシーンでは、1度目より2度目、2度目より3度目とテンポもリズムも覇気も上がっていくのがわかります。そして最後は「ルーズ・ユアセルフ」。この曲が好きな人にはたまらないエンディングです。

[あらすじ]
題名の「8マイル」とは境界線のこと。ミシガン州デトロイトには都市と郊外を隔てた道路があり、これを境界とし富裕層と貧困層、白人と黒人とを分けている。主人公はジミー。愛称はラビット、父はなく貧困の家庭で育ち自動車のプレス工場で働きながらプロのラッパーになるためにお金を貯めている底辺層の青年。彼の夢はその「8マイル」の向こう側だ。

母親は彼の幼い妹リリーとトレーラハウス住まい。そこに一緒にいる彼氏はジミーの高校時代の先輩のグレッグ。彼は事故にあい保険金が出るのを待っている。仕事に行かないジミーの母親もそれを当てにしている。そんな頃、同棲していた彼女と別れたジミーはアパートを追い出され母親のところへ戻ると家賃滞納で今にも追い出されそう。息子のような年齢の男に依存し、幼い娘がいるのに駄目な母親っぷり。

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悪い女ではないのだが・・。

あるとき出合った女性アレックス、ウエイトレスの彼女の夢も「8マイル」の向こう側。「彼女は利用できるものは利用する」と。
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ジミーには彼の実力を認めている友人達がいた。彼らの後押しはあったが、「ラップは黒人音楽」という考えが主流であり、ジミーは自分が白人であることや、家族の問題にも悩み、ラッパーとして食べていく事が叶わぬ夢のようにも思えた。

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チャンスを掴んだアレックスは、明日ニューヨークに出発すると別れを言いにきた。そして「今夜のシェルターに出てほしい」と言う。彼女はジミーを傷つけるつもりなどなかった。ただ単に自分の夢をかなえるのが最優先だっただけだ。今はただジミーの成功を願う一人として、アレックスは工場へ足を運んだのでした。大会には出場しないつもりだったジミーは、工場の仕事を2時間だけ友人に頼み会場へ向かう。

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勝負は「こう出たか!」かっこ悪い自分をさらけ出し、そのあとは予想外にも・・しかもこの盛り上がり!そりゃ、ぐうの音も出なくなるわ~。

ルーズ・ユアセルフ                                Not Afraid/Rap God ets・・楽曲性高くパターンも様々

夢を見なければ、何も始まらない。勝負のあと、職場の工場に戻るエミネムの後姿がカッコイイ。

8Mile [DVD]

[監督]
カーティス・ハンソン
[出演]
ジミー・スミスJrエミネム
アレックスブリタニー・マーフィ(2009年12月20日/満32歳没)
ステファニー・スミスキム・ベイシンガー
リリー・スミスクロエ・グリーンフィールド
デヴィッド・・ポーター メキ・ファイファー
チェダー・ボブエバン・ジョーンズ
ソー・ジョージオマー・ベンソン・ミラー
ウィンクユージン・バード
パパ・ドクアンソニー・マッキー
ジャニーンタリン・マニング
グレッグマイケル・シャノン



エミネム(本名:マーシャル・ブルース・マザーズ3世)
アメリカのヒップホップMC、プロデューサー。1972年10月17日ミズーリ州セントジョセフ生まれ。 身長173cm。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第83位。

[家庭環境と私生活]
幼い頃から極貧の環境に育ち、12歳の時までカンザスシティとデトロイトを母親と共に2、3ヶ月ごとに転々と過ごす。友達もできず、仲間外れにされ、いじめられ、自殺未遂も経験する。悪環境の中、自然とアフリカ系アメリカ人層やヒップホップに親しむようになる。14歳ごろから本格的にMCとして活動しはじめ、黒人優位のヒップホップ界において、白人ながらいくつものMCバトル・コンテストに挑戦する。中学校時代には三回留年している。1995年、23歳の時、学生時代からの付き合いであったキンバリー・スコットとの間に、娘のヘイリー・ジェイドが生まれ、1999年に結婚したが2001年に離婚。しかし2004年から再び交際が始まり翌年に復縁。2006年に再び結婚するが3ヶ月程で再び離婚している。現在、実の娘のヘイリーの親権は共同親権となっている。子供に対しては、子煩悩な父親としても有名で、家では特に言葉遣いを厳しく躾けているという。また、エミネムの右腕には、ヘイリーのポートレートが彫られている。

[母親との確執]
1999年、エミネムの母親デビーが、エミネムのLPに含まれる歌詞中の彼女に関する中傷で約1000万ドルで彼を訴え、約1,600USドルを勝ち取っている。2014年母の日、エミネムはこれまでずっと憎んできた母への謝罪として「Headlights」のPVを公開。悲惨な幼少時代を過ごした彼にとって、母は憎しみの対象だった。しかしエミネムは母を許し、その証明として今後は彼女を罵倒した曲である「Cleanin' Out My Closet」をライブ上で演奏しないということを「Headlights」の歌詞に記している。そのきっかけとなったのは、母親の心臓の病にあるのではないかと推察されている。病床の彼女が果たしたいと思った望みは、エミネムと和解し彼の娘に会うということだったという。

[父親への怒り]
2歳のときに家を出て行った実の父親に対しては、次のように厳しい見方をしている。「彼のことは知らない。会ったこともない。会いたいか、訊かれるけど、そうは思わない。なんで、自分たちをおいて出て行ったのか、理解できない。もし俺の子供たちが地球の裏側に移り住んだとしても、俺は彼女たちを見つけ出す。それは確かだ。金がないとか関係ない。俺が何も持ってないとしても、子供は見つける。だから、弁解の余地はない。」

[数々のヒット]
1996年に自主制作アルバム『インフィニット』をリリース、しかしこの作品はあまり注目されずに終わる。1997年、自主制作テープ「ザ・スリム・シェイディ EP」が2万枚の売り上げを記録。ロスで行われたラップ・オリンピックに参加し準優勝した。注目されつつあったエミネムは、翌日、西海岸のヒップホップ・ラジオ・ショー「フライディ・ナイト・フレイヴァス」に出演しフリースタイルMCを披露。ヒップホップ界の大物であり名プロデューサーのドクター・ドレーに見出され「アフターマス・エンターテインメント」と契約。1999年にデビューアルバム『ザ・スリム・シェイディ LP』をリリースした。これがいきなり全世界で600万枚を超えるセールスを記録した。そして「グラミー賞最優秀ラップアルバム部門」受賞する。2000年には2作目の『ザ・マーシャル・マザーズ LP』を発売。1週間で179万枚を売り上げ、世界最速最多売上記録としてギネスブックに認定され、更に「グラミー賞最優秀アルバム部門」を受賞。2002年、3作目のアルバム『ザ・エミネム・ショウ』の発売と相前後して半自伝的映画「8 Mile」に主演。
主題歌『ルーズ・ユアセルフ』は2003年度アカデミー歌曲賞を受賞した。

2005年8月、体調不良から公演をキャンセル。原因は睡眠薬の過度服用及び依存症によるものであった。
治療のため精神病院に強制入院させられ、閉鎖病棟に隔離されていた時期もあった。

2009年、エミネムは復活。『リラプス』、2010年『リカバリー』を発表。リカバリーはアメリカで341万5,000枚のセールスを売り上げた。
2013年11月、アルバム 『ザ・マーシャル・マザーズ・LP2』を発売。発売から2か月でアメリカで170万枚、世界で290万枚以上を売り上げ、2013年のアメリカのアルバムセールス2位を記録する。エミネムのYouTube上での公式Vevoページのミュージック・ビデオの合計視聴回数が、20億を突破。2014年6月10日、RIAAはエミネムのシングル「ノット・アフレイド」を1000万枚売り上げたダイアモンド・アワードとして認定。彼はすでにリアーナとのフューチャリング曲「ラヴ・ザ・ウェイ・ユー・ライ」でも同賞を獲得しており、デジタル・ダイアモンド・アワードを二つ勝ち取った史上初のアーティストとなった。

Not afraid 日本語歌詞
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ファンに向けてのメッセージや父親として、これからの自身のことなどを歌っています。(いい親父になるんだーって言ってます)ガンバ♪

Marshall Mathers Lp3 (2015)


◆内部関連記事◆

伝説のソロ・アーティスト/キング・オブ・ロックン・ロール「プレスリー」の映画はコチラ→ELVIS(2005)


★外部関連記事★

・洋楽の和訳とかワンポイント英会話とか。/のんびり和訳しています。/Eminem - When I'm Gone 歌詞和訳
[Intro]Yeah..あぁ..It's my life..これが俺の人生..In my own words I guess..多分、自分の言葉で伝えるとしたらな

・ミシガン New Life ~Great Lakes ダラリン日記/メトロデトロイトと8Mile
デトロイトシティの北には南西に伸びる5MILE Roadという道があり、そこから北に順に6MILE Road, 7MILE, 8MILE.そして郊外の26MILE Roadまで数字を使った道路が水平に並び、そのエリア一帯がメトロデトロイトと呼ばれています。デトロイトのダウンタウンから車を走らせ、8MILE Road付近までの景色は、私から見ても荒廃とした雰囲気が見てとれますが、8MILE Rdを越えると雰囲気が一気に変わります。「エミネム」出演の「8Mile」という映画がありますが、8MILE Rdの南側出身の彼にとって、この8MILE Rdは特別な存在だったようです。というのも8MILE Rdの南側(デトロイト)の住人は大半が裕福ではない黒人、北側(ウォレン)は大半が白人で占められている街。白人でありながら8MILE Rdの南側で育った彼にとって、8MILE Rdの北側に行くというハングリー精神は私達にははかり知れないものだと思います。

2014-09-06(Sat)

ケビン・コスナー Kevin Costner プロフィール

ケビン・コスナーアメリカの俳優、映画監督、映画プロデューサー、1955年1月18日カリフォルニア州生まれ。 (2014年現在59歳)身長185cm。

電力会社に勤務している父親の仕事の関係で幼少時代は移動が多かったが、スポーツが得意で野球やアメリカンフットボールに熱中する積極的な子供だった。高校時代には全米選抜に選ばれた経験もある。カリフォルニア州立大学に進学し経営学を学んでいたが、当時、映画の舞台裏のアルバイトをしていたこともあり、次第に演技に興味を持つようになっていき、1978年に大学を卒業すると俳優を目指すことを決めた。しかし、すぐには芽が出ず、約4年間の下積みを経て、ようやく1982年『女優フランシス』でデビューするも、出演シーンでは決定版でカットされてしまう。その後も脇役で数本の作品に出演をしたが、その役柄と演技は目に留まるようなものではなかった。その後、ローレンス・カスダン監督と親しくなり1985年『シルバラード』のメインキャストで役を得た。これがきっかけとなり、同年、ケヴィン・レイノルズ監督の『ファンダンゴ』で主役を演じることになる。(後に、この監督の作品、『ロビン・フッド』や『ウォーターワールド』などにも主役で出演をしている。)その後、徐々に実力を付けていき、1987年の『アンタッチャブル』や『フィールド・オブ・ドリームス』などで高い評価を得て、ハリウッドのトップスターの仲間入りを果した。1990年には自ら監督主演した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』では、アカデミー賞最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞。 オスカー監督兼俳優としての地位を確立した。

私生活では、下積み時代から一緒だった妻と1994年に離婚。慰謝料100億円を支払った。原因はケビンの浮気によるもの。彼女との間には3人の子供がいる。2004年に19歳年下のクリスティーン・バウムガートナーと再婚し、2007年に1児が誕生している。また、元恋人との間にも息子が1人いる。その他、社会活動として1989年に起きた原油流出事故をきっかけに、1992年ごろから、石油回収技術を開発している企業オーシャン・セラピー・ソリューションズに、多額の私財を投じ、水と油を分離させる遠心分離機を開発させていた。2010年に起きたメキシコ湾原油流出事故のときに、事故を起こした英石油BPは、この装置の性能を評価し導入。環境問題にも功績を残した。

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アンタッチャブルでの名シーン               メッセージ・イン・ア・ボトルは大人のロマンス  脚のラインが魅力的、綺麗です。



★受賞★
1991年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』 アカデミー監督賞受賞
1991年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』 ゴールデングローブ賞 監督賞 受賞
2012年『ハットフィールド&マッコイ 実在した一族vs一族の物語』 エミー賞 (ミニシリーズ部門)主演男優賞受賞

[出演作品]
1982年 ドリーム・リーグ/ラブ IN ニューヨーク
1983年 5人のテーブル/ステイシーの騎士達/ラスト・ギャンブラー/テスタメント
1985年 ファンダンゴ/シルバラード/アメリカン・フライヤーズ/世にも不思議なアメージング・ストーリー
1986年 マリブ・ビーチ物語
1987年 アンタッチャブル/追いつめられて
1988年 さよならゲーム
1989年 フィールド・オブ・ドリームス/ケビン・コスナーの ガンランナー
1990年 リベンジ(兼製作総指揮)/ダンス・ウィズ・ウルブズ(兼監督・製作)
1991年 ロビン・フッド/JFK
1992年 ボディガード(兼製作)
1993年 パーフェクト・ワールド
1994年 ワイアット・アープ (兼製作)/8月のメモワール
1995年 ウォーターワールド(兼製作)
1996年 ティン・カップ
1997年 ポストマン(兼監督)
1999年 メッセージ・イン・ア・ボトル(兼製作)/ラブ・オブ・ザ・ゲーム
2000年 13デイズ
2001年 スコーピオン
2002年 コーリング
2003年 ワイルド・レンジ 最後の銃撃(兼監督・製作)
2005年 ママが泣いた日/迷い婚 -全ての迷える女性たちへ-/守護神
2007年 Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼(兼製作)
2008年 チョイス!(兼製作)/ネスト
2010年 カンパニー・メン
2012年 ハットフィールド&マッコイ 実在した一族vs一族の物語(計3話のTVミニシリーズ/兼製作)
2013年 マン・オブ・スティール
2014年 エージェント:ライアン/ラストミッション




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映画感想 * FRAGILE/ラストミッション/ケヴィン・コスナーが娘にめろめろ
CIAのイーサン(ケヴィン・コスナー)は余命3ヶ月って宣告されたので、何年も会ってなかった娘(ヘイリー・スタインフェルド)と過ごそうと思ったんだけど、ヴィヴィ(アンバー・ハード)ていう女に「新薬あげるから、ちょっと仕事してくださーい」って言われて、こそこそ仕事します。わたしは父娘ものに弱いんですけれども、ちょっとこの映画は『父娘もの好物なんでしょ?大盛りにしたから、たあんとおあがり!』って出されたかんじで、ベッソン…ベッソン! もうお腹いっぱいだから! しかもこの父娘もの、安い味がするよ…。


2014-09-04(Thu)

パピヨン/不屈の魂、不朽の名作

1973年 アメリカ
papillon.jpgこれを最初に観たのは小学生の低学年の時。当時、子供心に至極の感動を味わった作品です。
TV画面を見ながら、もう脱獄しないで!と思った。けれど、映画の中の彼は、そんな願いなど無視して脱獄し、酷い目にあう。監獄の非情さに泣き、数々の裏切りに切なくなって泣き、最後は自由になったと泣いた。今でも忘れた頃に観たくなる作品。大人になってからは、子どもの頃の感覚とは違っているし、この作品の後にも多くの素晴らしい名作も沢山製作されている。
それなのに何故、何十年経った今も、この映画に魅了され続けるのか。

これは、フランス人「アンリ·シャリエール」が自身の体験をもとにして書き綴った小説を原作として製作された映画です。リアル脱獄もの。主人公のパピヨンはシャリエール自身で、胸に蝶の入れ墨をしたフランス人。パリで金庫破りの罪で捕まるが、仲間の裏切りから殺人と幾つもの罪を着せられ終身刑となる。そして政府は彼ら犯罪者を国内から一掃する為、南アメリカのフランス領「ギアナ」の刑務所に送り込むことを決めた。こうして彼らを乗せた船が出発。ギアナに送られれば最初の1年以内に大半が死ぬという。しかし金さえあれば別。看守を買収できるからだ。囚人の多くが体内(直腸内)に金を入れ隠し持っていたが、その金を狙い殺人事件も起きていた。パピヨンはギアナに到着する前から投獄を考えていたが、そのためには金が要る。彼は国債偽造で逮捕された男で、大金を隠し持っていると噂されているドガに目をつけた。「大金を持っている」という噂が流れるなら命を狙われる可能性も高い。パピヨンは船にいる間、ドガを守るかわりに逃亡用の金を用立てるという条件をドガに出した。ドガはそれを受け入れる。こうして当初、船にいる間だけだった二人の奇妙な関係は、この物語の最後まで続くことになる。


ある日の夜、眠っているドガが二人の囚人に襲われかけたが、パピヨンは寸前のところで、この囚人たちを切りつけドガの命を救った。当然パピヨンは看守に拘束され罰を受ける。ギアナに着き、二人が収容されたのはロワイヤル諸島のひとつ『サン・ローラン刑務所』だった。ここでの脱走の懲罰は1度目が2年の独房入り。2度目は5年。そして3度目はギロチンによる公開処刑。到着したばかりの大勢の目の前で、抵抗しもがいている囚人の首が切落とされる。しかしパピヨンの逃亡の意思は揺るぐことはありません。重労働を避けようとドガが看守を買収するものの、運悪く彼の詐欺で損害を受けた人物に遭遇。ジャングルでワニが生息する沼地での過酷な労働に宛てられた。ある日、船で知人だった男の損傷した遺体を見たドガが激しく嘔吐すると看守が彼を殴りつける。パピヨンはドガを助けようと看守に熱湯を浴びせ川の中へ飛び込み、そのまま逃亡する。その頃、ちょうど逃亡を計画中であった為、既に金を渡していた協力者の男に会いに行くと、男は「一週間早かったな」と言うと看守が現れ捕まる。彼はまた裏切られた。パピヨンはサン・ローラン西にあるサン・ジョセフ島に投獄される。

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スープの缶の中にヤシの実が         隣の囚人は次に顔を出したときには現れなかった。  光りを遮断される寸前のパピヨン

サン・ジョセフ島の牢は「人食い牢」と呼ばれていた。天井は鉄格子。食事は僅かなパンとスープだけ。囚人たちは悪条件の為に次々と餓死していた。そんな環境で彼の2年間の投獄生活が始まる。ある日、配給される食事の缶の中にヤシの実が入っていた。「いつもお前を忘れない」と書いた小さなメモが添えられて。パピヨンはそれがドガからのものだと確信したが、程なく所長に知れてしまう。ヤシの実を誰にもらったのかと問い詰められるも彼は答えなかった。すると所長は彼の独房の天井の鉄格子を板で蓋をし真っ暗にした上、ただでさえ貧しい食事を半分にした。期間は半年間。それで生き延びる見込みなどない。パピヨンは、床を這う虫を食べて生き抜く。やがて歯が抜け落ち、意識も朦朧としてきて、ドガの名を自白しそうになるのだが、所長の顔を見た瞬間、「名前を思い出せなくなってしまった・」と告げた。彼が白状すると思っていた所長は「じきに死ぬな」と言って立ち去った。パピヨンは隠してあったドガからのメモを口に入れ飲み込む。

パピヨンは夢を見る。砂漠の中、地平線の向こうに裁判官たちが立っている。パピヨンは無実を主張するが、裁判官が言う。
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「それはそのとおり。だがお前の本当の罪は殺人ではない」

パピヨンは餓死寸前となりながらも、執念の2年の監獄地獄を生き抜き、サン・ローラン刑務所に戻った。そして、ドガと再会。看守達の信頼を得ていたドガは悪条件の労働から開放され、ここの所長の補佐的給仕をしていた。ドガはパピヨンが自分の名前を白状すると覚悟していたが、最後まで言わなかった彼に対し、それ以上言葉がでず涙を浮かべた。パピヨンもドガの名を言いかけたことを彼に告げた。

ある日、ドガはパピヨンに自分の妻が裁判所に申し立てをしており、同時にパピヨンのほうの刑期についても動いていて、金でどうになりどうだと言う。かかる期間は3年、脱獄しないで待てばいいというドガ。しかし長すぎるというパピヨン。ドガに自分に対し借りがないというパピヨンは再び脱獄の計画を立てた。ドガは協力はするが妻の動きを待って逃げないはずだった。逃亡はすぐに実行される。逃亡の話を持ってきた囚人クルジオ、看守を呼び出せる囚人マチュレット。そしてパピヨン。この3人で逃亡するのは看守達が手薄の音楽会の夜だ。逃亡用のボートは手配済み。しかしタイミング悪くクルジオが見つかり、様子を見ていたドガが咄嗟に看守を殴りつけ塀に登りパピヨンと共に逃げることになる。このとき塀の外側へ飛び降りたドガは足を負傷する。そして密林へ。しかしボートは朽ちていて使えなかった。そこで顔に刺青をした男に助けられ、ボートが買えると案内されたピジョン島へ向かう。ここの島民は全員ハンセン病患者だった。パピヨンは島の首領と会った時に、病状を見ても戸惑うことなく、勧められるまま彼の咥えていた葉巻を口にしたことから、彼の歓心を得て、船とお金まで用意してもらった。3人は本土を目指し船を出した。やがて嵐が襲う。ドガの足は壊疽で腐り始め、マチュレットがドガの足の壊疽の部分を切り落した。

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ハンセン病患者のボス                ドガに酒を飲ませて酔わせ壊疽を切断      部落の女性との恋

やっと海岸についた時、運悪く警察に遭遇してしまった。歩けないドガを砂浜に残し二人は逃げたが、マチュレットは足を撃たれてしまい離れ離れになる。パピヨンは逃げる途中で原住民の吹き矢に襲われ断崖から川へ転落。気がつくと、彼はある部落の人々に助けられていた。ある程度の期間パピヨンはここで過ごす。彼らとは言葉は通じなかったが真珠を採って生計を立てているこの部族の生活は平和であった。ある日、酋長はパピヨンと同じように胸に蝶の刺青を彫って欲しいと伝えた。刺青をすると満足げな酋長。翌日、部落の人間は全員消えた。天井にぶら下げてあった小さな袋の中にはいくつかの大粒の真珠が入っていた。

パピヨンは誰もいなくなった部落を出て、バスに乗り込んでいた。コロンビアの検問所で身分証明書のチェックの最中に、たまたま通りかかった修道女に真珠を寄付し、修道院の馬車に乗り込み検問所を切り抜けた。修道院で院長に自分の身の上を正直に話し、自分の全財産である真珠を預け、一晩の宿をとった。しかし翌朝、彼を待っていたのは、またしても裏切りであった。こともあろうに、神の使いにまで。

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開放されたパピヨンの髪の毛は真っ白。     運ばれてきたマチュレット              死んだ囚人は海に捨てられる。      

パピヨンは再び「人食い牢」へ。5年の月日が流れた。解放された彼の頭は真っ白で老人のよう。その日、担架で運ばれてきた男がいた。やつれ果てたマチュレットだった。彼はまもなく息絶え、死体は海に投げ込まれサメの餌となった。パピヨンは今度は悪魔島へ送られる。ここでは手錠も足枷もなかった。島の周囲は岩だらけで脱獄しようにも激流で押し戻されてしまう。さらに多くのサメ繁殖しており脱出不可能だった。けれど重労働や制約がなく自給自足の生活を送ることができた。パピヨンはここでドガと再会する。ドガは「来て欲しくなかった」と吐き捨てた。しかし、「ザリガニは好きか?」 久しかたぶりの食事を取る二人。パピヨンは一人、飽きもせずに海を眺める。そして潮の流れを観察する。本土まで40キロ。潮の流れに乗れば2日で着ける。ヤシの実を袋に詰め込み、海に投げ込むが岸壁に打ち砕かれる。それでも諦めない。ある日、パピヨンはドガに言う。「7回に1度来る大きな波に乗れば、2人とも沖に出られるぞ!」 

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足元には、椰子のいかだが二つ。しかし、ドガは残ります。パピヨンは海に飛び込みました。「自由人」となるために。

パピヨン スティーヴ・マックィーン没後30年特別愛蔵版 [DVD]

[監督]
フランクリン・J・シャフナー(1989年7月2日/満69歳没)
[出演]
パピヨンスティーブ・マックイーン(1980年11月7日/満50歳没)
ルイ・ドガダスティン・ホフマン
マチュレット  ロバート・デマン
クルジオウッドロー・パーフリー
ジュロドン・ゴードン
トゥーサンアンソニー・ザーブ
検索用/スティーブ・マックイーン/ダスティン・ホフマン



hanachanono-img600x450-1397064673s3fsbe6944_20140904064357bcf.jpg[舞台となっているギアナ]

フランス領ギアナは南アメリカ北部にあり県都はカイエンヌ。この地域には古くから、カリブ族、アラワク族などのアメリカ州の先住民族が居住していた。1604年にフランス人がギアナに港を建設しフランスから入植者が増えた。1638年にはカイエンヌの町を設立し定住が進む。18世紀末、革命直後のフランス立法府はギアナを政治犯の流刑地とし、20世紀半ばまで多くの政治犯が送り込まれる。ギアナの島々は「呪われた土地」「緑の地獄」などと呼ばれていた。特に沖合いにある流刑島のデビルズ島は、「悪魔島」として悪名高い。1946年にフランスでの行政上の区分は植民地から海外県に変更されたが現在もギアナの領有を保っている。



[パピヨンのモデル]
アンリ・シャリエール
アンリ·シャリエール (1906年11月16日- 1973年7月29日)、フランスの小説家、後に映画俳優となる。シャリエールはフランスのアルデシュで生まれた。彼が11歳の時に母を亡くす。1923年、17歳の時フランス海軍に入隊し二年間務めた。海軍を去った後、パリで不道徳な生活を送っていたようだ。1931年 25歳 無実の罪でギアナの流刑地へ無期徒刑囚として送られる。記録では、ここに囚人8万人が送られ5万人が死んでいるという。仮に、ここで生き残り刑期を終了しても刑期の倍の期間、強制労働に付かされることになり、もと囚人として非難されながら生きていかなければならなかった。無期懲役の場合はその可能性すらないということだ。ギアナの刑務所は「人間を壊すための刑務所」のセリフどおり凄惨を極めるものだった。シャリエールはここで13年間の間に何度かの脱走を繰り返す。このうち1933年に脱走した時の物語が2度目の逃亡として、この作品に描かれている。ここでは実際に、思いやりのある英国人や、ハンセン病患者のグループから援助を受けたという。そして3人は、船でコロンビアへ向かい、辿り着くが結局失敗しギアナに引き渡される。(映画中では、この後、彼は真珠を採って暮らす先住民に助けられ、原住民の女性とのロマンスが描かれていますが、これは別の逃亡の時の出来事で映画中では2回目の逃亡に纏めてしまっています。また、一緒に逃げたマチュレットのモデルの囚人は独房生活で獄死していますが、実際には無事に独房収監を終え、後にシャリエールや、クルジオのモデルとなっている囚人と一緒に悪魔島を脱出している。ちなみにクルジオとされる囚人は悪魔島を脱出後、再度捕まり再び2年間の独房生活の後死亡しているという。これが映画中では、マチュレットの死亡に置き換えられているようです。)

悪魔島に送られたシャリエールは、脱出のため波を観察。ココナッツの下に重みを付けた袋を投げてはいくつも実験を繰り返した。そしてある場所で、七つめの波が他の波より大きく、島からより遠くに袋を流すポイントを見つけ、脱出できると確信する。シャリエールはこの第七つめの波を「リゼット」となずけた。悪魔島には実は映画のような立派な絶壁は存在しませんが、波が強く容易に脱出できるような島ではないため、判りやすい演出をしたのでしょう。そして実際には、島からの脱出はシャリエールとシルヴァンという囚人と、他の二人(映画中でのクルジオとマチュレット)の計4人でした。彼らはココナッツの袋に浮かび本土を目指します。すりおろしたココナッツの果肉を食べて生き、三日三晩。そして4日目、本土からわずか300ヤードの距離でシルヴァンは波に放りだされ、そのまま消えてしまい、彼は戻りませんでした。この人物はこの逃亡の前にも一緒にシャリエールと行動を共にしている人物で、おそらくドガのモデルとなった人だと思います。死んでしまった彼を、映画の中で「生かした」のではないでしょうか。実際には悪魔島は映画のように平穏に暮らしていける環境ではありません。暴力が日常的で、熱帯病が蔓延し過酷だったのです。あえてこのように演出したのは生きていて欲しかったというシルヴァンへの思いではないかと想像します。シャリエールは進み続けましたが、海岸に着くまでシルヴァンのココナッツのいかだを握っていたそうです。

生還の後、1944年からベネズエラに居住し、1952年リタというベネズエラの女性と結婚しカラカスでレストランをオープン。1956年に正式にベネズエラ の市民権を獲得。1969年にフランスで出版された『パピヨン』は世界17ヵ国語に翻訳され、1000万部を越える超ベストセラーとなった。また、1971年 には、本人が書いた小説を原作とした映画「太陽の200万ドル」が公開され、アンリ・シャリエール自身が俳優として出演した。そして、1972年、映画「パピヨン」が製作されると、シャリエールはこの映画のロケ地に招かれ、実際に体験した模様を指導しました。そして翌年、映画の製作途中でスティーブ・マックイーン に会うと、映画の完成を観ることなくその奇跡の生涯を終えました。

セントローレンスの「死刑執行」 セントジョセフの「人食い牢」 今も人を寄せ付けない「悪魔島」。人間として扱われず、過酷な境遇に置かれながら、裏切られ、騙され、それでも信じる。この作品には、本来人が持ち合わせている「恨み、失望、諦め」などの感情が表現されていません。酷い仕打ちを受けても、心は朽ちずに、自分自身の運命と真正面から向き合う。子どもの頃「かわいそう」と泣いた物語は、大人になってからは「主人公の精神力に感銘」して心で泣く。人はここまで強くなれる可能性があると勇気付けられる作品です。

アンリ·シャリエール「パピヨン」の伝説


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ゆず豆的シネマ鑑賞記/No.164 『パピヨン』
例え捕まっても、裏切られても折れない心。 終盤の彼は自由を求めているようで実は逃げることに生きがいを感じているように思えました。 そんな彼と対比的な男ドガ。 この二人の奇妙な友情も見所の一つ。 最後の別れのシーンは何とも暖かいもので・・・。 スティーヴ・マックィーンという俳優さんを初めて見ましたが、かっこええのー!! そりゃ人気でるわ。

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