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2014-01-25(Sat)

ジョン・マルコヴィッチ John Malkovich プロフィール

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1953年12月9日生まれ アメリカの俳優、映画プロデューサー ファッションデザイナー。
身長 188㎝ フランス語が堪能。

自然保護運動に熱心であった両親の元に生まれる。高校時代には様々な演劇やミュージカルなどに参加していた。1972年に高校を卒業するとイースタンイリノイ大学に入学し、当初は『環境学』を専攻したが途中で『演劇』に変更する。

1976年ステッペン・ウルフ劇団に入ると、彼の演技は高い評価を得る。特に1982年に上演したサム・シェパードの戯曲が評判となり、オビー賞とシアター・ワールド賞を受賞。その後、彼の舞台中継を見たロバート・ベントン監督に見出されたことで、1984年「プレイス・イン・ザ・ハート」で映画デビューすると、いきなりアカデミー助演賞にノミネートされ、一躍その才能が世界的に注目されるようになった。それ以降、多様な演技で多くの話題作や注目作品に登場している。また、2000年頃からは、自ら製作や監督も手がけるようにもなる。

映画の以外の活動として、自らのファッションブランドも立ち上げている。2012年にはiPhone 4SのCMに起用された。私生活では、1982年に女優のグレン・ヘドリーと結婚したが、5年後に離婚。翌年1989年に映画制作スタッフの女性と再婚し、現在は男女の二人の子供がいる。
18-85_20140125153606345.jpg
子役のクリスチャンベールと共演(太陽の帝国) 一度見たら忘れられないような斬新な役も多い。 iPhone 4SのTVCM



★受賞★
1985年『セールスマンの死』プライムタイム・エミー賞助演男優賞 受賞(TV映画部門)
1999年『マルコヴィッチの穴』 ニューヨーク映画批評家協会賞 助演男優賞 受賞

[主な出演作品]
1981年 新聞記者の信疑(TV映画)
1984年 プレイス・イン・ザ・ハート/キリング・フィールド
1985年 セールスマンの死(TV映画)/哀愁のエレーニ
1987年 新生人 Mr.アンドロイド/ジェフ・ピーターズ/ユリシーズ/ガラスの動物園/太陽の帝国
1988年 マイルズ・フロム・ホーム/危険な関係
1990年 シェルタリング・スカイ
1991年 クィーンズ・ロジック 女の言い分・男の言い訳/幸福の選択
1992年 ウディ・アレンの影と霧/二十日鼠と人間/ジェニファー8
1993年 生きてこそ/ザ・シークレット・サービス/ 真・地獄の黙示録
1995年 メフィストの誘い/愛のめぐりあい
1996年 狼たちの街/ジキル&ハイド/ある貴婦人の肖像/魔王
1997年 コン・エアー
1999年 仮面の男/ラウンダーズ/見出された時 -「失われた時を求めて」より-/マルコヴィッチの穴/ジャンヌ・ダルク
2000年 シャドウ・オブ・ヴァンパイア/レミゼラブル(ミニシリーズ)
2001年 家路(映画監督)/ノックアラウンド・ガイズ/HOTEL ホテル
2002年 ダンス オブ テロリスト(監督・製作兼任)/リプリーズ・ゲーム/キング・オブ・キングス/アダプテーション
2003年 ジョニー・イングリッシュ/永遠の語らい
2004年 リバティーン
2005年 銀河ヒッチハイク・ガイド/アイ・アム・キューブリック!
2006年 アートスクール・コンフィデンシャル(製作兼任)クリムト/グスタフ・クリムト/エラゴン遺志を継ぐ者
2007年 ベオウルフ/呪われし勇者/
2008年 ザッツ★マジックアワー ダメ男ハワードのステキな人生/チェンジリング/ミュータント・クロニクルズ/バーン・アフター・リーディング
2009年 メッセージ そして、愛が残る
2010年 ジョナ・ヘックス/REDレッド/セクレタリアト 奇跡のサラブレッド
2011年 トランスフォーマー ダークサイド・ムーン
2012年 皇帝と公爵
2013年 ウォーム・ボディーズ/REDリターンズ/RED 2




★外部関連記事★

海外掲示板の有名人降臨企画でジョン・マルコヴィッチが掲示板に登場、ファンと交流をしていたので抜粋して紹介
2013-07-13 21:00:00 ジョン・マルコビッチだけど、なにか質問ある?
ファン→髪の毛を失った若者達に励ましの言葉を頂けますか?
ジョン・マルコヴィッチ→若者たちよ、残念だったな。
けど、まあ大丈夫だ、マイケル・ジョーダンがカッコいいスタイルを作ったしな。心配するな、人生は続く。


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2014-01-15(Wed)

アビエイター ハワード・ヒューズ/地球上の富の半分を持つと言われた男

2004年 アメリカ
アビエイター1900年の初頭に実在した富豪のハワード・ヒューズの半生を描いた作品。彼は18歳までに両親を相次いで亡くした。莫大な遺産を相続したハワードは映画製作と飛行機にその財産をつぎ込んでいた。飛行場を持ち、沢山の戦闘機を購入し、それを自ら操縦しながら撮影した映画「地獄の天使」を完成させます。パイロットとしても世界一周の記録を達成し話題の人物となっていた。彼の人生は順調に見えていたが、徐々にどうすることも出来ない自身の行動に悩むようになっていく。そんな主人公を演じるのはレオナルド・ディカプリオ。彼の演技の中で癇に障るような表情や、度を越した潔癖症や奇行ぶりが見どころ。メインキャストの俳優群もハイレベル揃い。そのなかでも個性の強い恋人役キャサリン・ヘプバーンに、ケイト・ブランシェット。実際のキャサリンの人物像ってこんな感じだったの?と興味をそそられました。

実はこの作品、以前観ていたものですが、当時は主人公のハワード・ヒューズが、ただ単に神経質で病的であり、飛行機の墜落シーンが見事だった。というぐらいの記憶しかなかったのです。何故なら、あまりにも現実離れしていたから。湯水のようにカネをつぎ込んだ映画の製作、飛行機にあれ程の莫大な個人資金を使うなど、破天荒すぎて現実とは考えもしなかったのです。私にとって、ハワードを知らないで観た、最初の作品は、「ただのフィックションの映画」でした。改めて、現実離れの事が、現実だったことに驚いたのです。作品中では数々の見事なシーンがありますが、墜落シーンの他にも、目が離せない迫力の飛行シーンが満載。青空を舞う様が爽快に撮られているシーンは観ていて気分がいい。特に、映画の後半に出てくる、ビル5階建てに匹敵する高さの飛行機「H-4 ハーキュリーズ」が水上から浮かび上がるシーンにはワクワクしました。1個人の現実と思うと、とにかくスケール大きいです。

そして、この映画はハワードが実在の人物と知ったことで「ただの娯楽映画」ではなくなりました。ハワードの行動は「奇行」ではなく「病気」として観ていることに変わったからです。現代であれば、その奇行ぶりは明らかに精神病と診断されているはずだろうけれど、この症状をこの時代に、それが病気と判断される程、医学は進歩していたのでしょうか?疑問です。そして、世間の目はどうだったのでしょうか?時代の寵児として世間からもてはやされた男が、自分の本当の姿をさらすことなど出来たでしょうか?人前に出る機会が多く難聴でありながら、補聴器をつけないところからも、プライドの高さと妥協を許さない彼の性格が想像できるように、それは皆無だったのではないのでしょうか。ハワードは年齢を重ねるごとにその精神の症状に苦しみ、そして、この映画の最後は「隔離の始まり」を思わせるシーンで幕を閉じます。

彼を知ってから観るのと、知らずに観るのとでは雲泥の差がある作品だと思います。欲を言えば、最後に彼の病気についての記述と晩年の彼の死、それはとても孤独なものでしたが、彼が後世に残したもの それが現在にどう生かされているのか、そんなナレーションがあったら、たとえハワードを知らなくても、最初に見たときのこの作品の印象が変わっていたのではないかと思うのです。

アビエイター 通常版 [DVD]

[監督]
マーティン・スコセッシ

[出演]
ハワード・ヒューズレオナルド・ディカプリオ
キャサリン・ヘプバーンケイト・ブランシェット
エヴァ・ガードナーケイト・ベッキンセイル
フィッツ教授イアン・ホルム
エロール・フリンジュード・ロウ
ブリュースター上院議員 アラン・アルダ
パンナム社長アレック・ボールドウィン
ジーン・ハーロウグウェン・ステファニー
ノア・ディートリッヒジョン・C・ライリー
ジャック・フライダニー・ヒューストン
ローランド・スイートウィレム・デフォー


[受賞]
第77回アカデミー賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞
第62回ゴールデングローブ賞:作品賞、主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)作曲賞
英国アカデミー賞:作品賞、助演女優賞(ケイト・ブランシェット)プロダクションデザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞
第30回ロサンゼルス映画批評家協会賞:美術賞
第10回放送映画批評家協会賞:監督賞、音響賞



ハワード・ヒューズ(1905年12月24日 - 1976年4月5日)
18-85_20140115115915f33.jpg1905年、テキサス州ヒューストンに生まれる。父親は油田採掘のためのドリルの発明で巨万の富を得ていた。ハワードは父方の遺伝による難聴、母親の異常なまでの潔癖症を引き継いでいた。彼が16歳のときに母親が病死、その2年後に父親が急死する。資産は数千万ドルと評価されていた。ハワードは18歳でその全てを相続すると父親の会社を人に任せ、1925年ハリウッドに移住。自ら映画製作を手がけるようになり、そして飛行家(アビエイター)になりたいとその夢をかなえる。2作目に製作した1927年の『美人国二人行脚』では監督のルイス・マイルストンに[第一回アカデミー監督賞]をもたらした。その後、400万ドルの個人資産をつぎ込み、史上初の航空アクション映画『地獄の天使』を完成させる。映画は1930年に公開され、大ヒットとなるが、費用が掛かり過ぎていたため制作費を回収するには至らなかった。その後に製作した2作品もヒットとなり成功を収めた。

1932年航空会社TWAを買収しオーナーとなる。パイロットとしては水上飛行機で大陸横断飛行を成功させ1934年には全米飛行大会アマチュア部門で優勝。翌年にはヒューズ航空機制作会社を設立。自ら開発したH-1で陸上機のスピード世界記録/時速567kmを樹立した。1938年NY-パリ間を3日19時間で横断しそれまでの記録を半分にするという功績を残した。1939年には西部劇『ならず者 』を製作。途中から彼は自らメガホンをとっている。1944年「カリフォルニア映画社」を監督と共同で設立。同年 当時としては異例の大陸横断を旅客飛行機で挑みワシントン-ロサンゼルス間の飛行に成功する。1942年第二次世界大戦が始まると1800万ドルの政府資金援助を受け超大型飛行艇「H-4 ハーキュリーズ」の建造に着手する。後に政府からのこの受注にあたり不正があったとの疑いで院調査委員会に召喚され審問を受けている。この飛行艇は大戦の終結により購入契約が破棄され1度だけ飛行をしたあとはエバーグリーン航空博物館で展示されている。

数回の墜落事故による脳への損傷のせいか、遺伝的なものなのか、強迫性障害と思われる行動を繰り返していた。1944年頃から細菌を恐れるようになりホテルの室内で裸で過ごす生活を送るようになる。1950年代にはラスベガスのホテルを本拠にし、一時はフラミンゴ・ホテルの一翼を借り切って生活をしていた。1953年に保有するヒューズ・エアクラフト社の全株式を拠出してハワード・ヒューズ医学研究所を設立した。1957年、52歳で3人目の妻となる女優ジーン・ピーターズと結婚、この頃からインタビューをすべて拒否するようになり、公的な場に姿を現さなくなります。1966年、経営の混乱を受けTWAを5億ドルで売却。同年、ラスヴェガスのデザート・インを買収。最上階のスイートルームに居を構え滅多にホテルから出ることがなくなる。1960年代は、ラスベガスのカジノ、ホテル、土地その他を買収。個人資産20億ドルと推定される資産家となる。夫人とは離婚し、跡継ぎをもつこともなく、その後はバハマ諸島、ニカラグアなどのホテルを転々とし、細菌から隔離された室内の中で??彼の事業の拡大は続く。

1970年 エアウエスト航空を買収、1972年電話による記者会見を行った。これが世間の場に、その存在を現した最後となります。同年、父親の会社「ヒューズ工作機械」を売却。4年後の1976年、メキシコ・アカプルコのホテルに滞在していた彼は、チャーターされたジェット機でヒューストンの病院に搬送されたが病院に着く前に死亡した。70歳であった。死因は脳血管障害、心臓病などとされたが、指紋を取らなければ判別できないほどその容貌が変化していたと言われている。ヒューズの遺産は個人資産だけでも数十億ドルにものぼり、全て合わせると天文学的な額になった。400人もの人々が彼の遺産をめぐって争い、最終的には従兄弟や過去の伴侶達らに分配された。また、宇宙開発や医学の研究のために寄付された。この処理に20年近くの歳月を要したという。

1953年に設立された「ハワード・ヒューズ医学研究所」は現在、ビル&メリンダゲイツ財団に次ぐ全米第2位の慈善団体であり、イギリスのウェルカム・トラストに次ぐ世界第2位の医学研究財団となっている。ここの研究員から多くのノーベル賞受賞者を輩出している。

17-8.jpg
H-4 ハーキュリーズ

ハワード・ヒューズ―謎の大富豪 (1977年) (角川文庫)



★外部関連記事★

ランダム・マンダラ 強迫神経症があっても  その3 「アビエイター」
考えてみると、もし彼がこのような我の強い性格でなかったら、18歳で巨億の富を継いだとき、周囲に利用され、邪魔され、自分の夢を追うことなどできなかったでしょう。あるいは、有り余る富のために意欲をなくし、酔生夢死に終わったかもしれません。幾多の苦しみに悩みながらも、空を目指し、夢を追った生き様こそが、立派なのかもしれません。私はこの「アビエイター」から、そんなことを感じ取りました。強迫神経症があっても夢は追える。いや、何があっても夢は追えるのです。

2014-01-07(Tue)

終戦のエンペラー ボナー・フェラーズ/日本の行方を変えた名もなき将校

2012年 アメリカ
終戦のエンペラー小学生低学年の頃、母に尋ねたことがある。「どうして日本は戦争に負けたのに日本でいられたの?」と。母はこう答えた。「戦争が終わり、マッカーサーというアメリカ人がきて、天皇陛下は彼に「戦争の責任は全て自分にあり、その命で行われた限り、他にはただ一人の戦争犯罪人はない。」と、天皇は死刑を覚悟してマッカーサーにそう言ったから、今でも日本があるのよ。」

当時、子供だった私は「天皇とは何か」なんて全く理解などできなかったが、この作品は、子供の頃の私と同じように天皇の存在の意味が理解できないアメリカ人が、戦後の天皇の扱いを決定するまでの流れを描いている。主人公は実在した情報将校であるボナー・フェラーズというアメリカ人。敗戦直後にマッカーサー元帥と共に、彼の副官として来日した。彼は学生時代、日本の女子英学塾留学生と交流があり日本に関心を深めていた。当時、フェラーズが友人と会うと記して頻繁に出かけていた事、その女子留学生が帰国後も彼女に会いに来日していた事にも着目し、映画の製作者は恋愛が絡んでいる可能性がある事を想像し、この部分をフィクションとして作り上げている。しかし歴史の記録の中で個人の恋愛感情まで記録されるわけは無くすべてフィクッションとは言い切れない可能性も秘めているということも、頭の片隅におきながら鑑賞しました。

フェラーズは、この戦争の真の責任者を探るべく任務を受けその調査をしていきます。すなわち、この戦争における昭和天皇の役割を明確にするための調査だったのです。期限は10日間。物語はシナリオどおり淡々と流れ面白いかと言うと歴史物なのでそうではない。けれどクライマックスで子供の頃、母に聞いていた想像通りの情景が映し出されたときに感動の涙が一粒。そして作品を観た後に改めて、国が存在することの幸せと、日本人は天皇と同じ種の精神を持つという誇りを感じました。日本人なら一度は見ておいたほうがよい映画です。そしてこれから生まれてくる子供達への贈り物のような作品でもあると思います。
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昭和天皇 昭和64年1月7日崩御 感謝と哀悼の意を込めて。 


終戦のエンペラー [DVD]
[出演]
ボナー・フェラーズマシュー・フォックス
ダグラス・マッカーサー トミー・リー・ジョーンズ
島田あや 初音映莉子
鹿島西田敏行
高橋羽田昌義
昭和天皇片岡孝太郎
木戸幸一伊武雅刀
関屋貞三郎夏八木勲
近衛文麿 中村雅俊
東条英機火野正平



(昭和天皇とダグラス・マッカーサー)
18-85_201401080520269c8.jpg1945年8月15日昭和天皇による玉音放送をもちポツダム宣言受諾を表明。大東亜戦争は終結した。9月27日、昭和天皇は、敗戦国の国家元首としてマッカーサーが滞在するアメリカ大使館に出向き会談した際、マッカーサーは昭和天皇の真摯な姿勢に感銘を受ける。当時、連合国のソ連とイギリスを中心としたイギリス連邦諸国は、天皇を「戦犯リスト」の筆頭に挙げ「処刑すべき」という声が上がっていた。しかし、マッカーサーは、もし天皇を処刑した場合、日本に軍政を布かなくてはならなくなり、ゲリラ戦に陥る可能性を予見していたため、ソ連やイギリスの意に反し天皇を丁重に扱うことで、安定した占領統治を行うつもりだった。

マッカーサー自身は、天皇が、敗戦国の多くの君主がそうするように戦争犯罪者として起訴されないよう命乞いをするのではないかと予測していたが、昭和天皇は命乞いをするどころか「戦争の全責任は私にある。私は死刑も覚悟しており、私の命はすべて司令部に委ねます。しかしながら罪のない8000万の国民が、住む家も着る物も食物も無く苦しんでおります。温かい閣下のご配慮を持って、どうか国民が生活に困らぬようご高配を賜りますように」と述べられました。

マッカーサーはこの時の事を『回想記』にこう記している。「死をともなうほどの責任、私が知り尽くしている諸事実に照らしても明らかに天皇に帰すべきではない責任まで引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」と。そして、この時マッカーサーは、こう返答したという。「かつて、敗戦国の元首で、このような言葉を述べた人物は、世界の歴史にも前例がないことと思う。私は陛下に感謝したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願いしたい」マッカーサーは、立ち上がり昭和天皇の前へ進み、天皇の手を握りしめて、「私は、初めて神の如き帝王を見た」と述べた。会見後、マッカーサーは、自ら昭和天皇を玄関まで見送った。
こうして、マッカーサーは、ソ連やアメリカ本国からの「天皇を処刑すべき」という主張を退け、自ら天皇助命の先頭に立つこととなる。

当然の事ながら、戦後間もない日本人は飢え、苦しんでいた。12月頃、昭和天皇は当時の農林大臣に「国内で多数の餓死者を出すようなことは耐え難い」と、皇室の御物の目録を大臣に渡し「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」とおっしゃった。こうして、マッカーサーの元へ御物の目録が差し出されると、それに感激したマッカーサーは、「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせない。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる」と請け合ったという。それからはどんどんアメリカ本国からの食糧が移入されるようになり、飢えた国民に食糧が届けられるようになった。

6年後マッカーサーは、大統領から更迭を指示され日本を離れた。1955年重光外相は安保条約改定に向けダレス国務長官との会談の為、アメリカへ渡った。このとき、昭和天皇は「もし、マッカーサー元帥と会合の機会もあれば、自分は米国人の友情を忘れたことはない。 米国との友好関係は終始重んずるところである。特に元帥の友情を常に感謝して、その健康を祈っている、と伝えてもらいたい」と外相に伝えた。重光外相はニューヨークにいたマッカーサーを訪ね、昭和天皇の言葉を伝えた。マッカーサーは、「私は陛下に出会って以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と語った。さらに、マッカーサーは昭和天皇と初めて会見した日のことを重光外相に、こう語った。「もし国の罪を贖うことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請したことはありません。とともに、決して、その尊厳を傷つけた行為に出たこともありませんでした。どうか日本にお帰りの上は、私からの挨拶と親しみの情を陛下にお伝え下さい。その際、自分の心からなる尊敬の念をも同時に捧げて下さい」とその思いを語った。



★外部関連記事★

正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現 陛下のお言葉と全国ご巡幸
天皇陛下のご聖断が遅かったのではない。そもそも天皇陛下には御一人で御決断を下される権限は付与されていなかった。アメリカは、最初から何が何でも原爆を投下するために、日本に和平を決断させないような工作をしていた。米国は、日本にポツダム宣言を受諾させないために意図的に降伏条件を不明確にした


2014-01-05(Sun)

ロン・ハワード Ron Howard プロフィール

18-85.jpg1954年3月1日生まれ アメリカの映画監督、映画プロデューサー、俳優

アメリカ、オクラホマ州で監督、脚本家、俳優の父ランス・ハワードと女優ジーン・スピーグル・ハワードの息子として生まれる。両親ともに俳優だった為、幼い頃より子役として多くのテレビドラマや映画に出演していたが、子役をこなしながらも制作にも興味を持つようになる。1972年には南カリフォルニア大学の映画学科へ進学。在学中の1973年には『アメリカン・グラフィティ』の主役で人気を得た。彼は大学の映画学科は卒業はせず、その後1977年の『バニシングIN TURBO』で監督デビューをした。1980年代には『コクーン』や、『アポロ13』『身代金』など数々の作品をヒットさせ、一流監督と評価されるようになる。2001年には『ビューティフル・マインド』でアカデミー賞監督賞を受賞。2003年には米国政府より芸術栄誉賞が授与されている。2009年には『天使と悪魔』のプロモーションで主演のトム・ハンクスやプロデューサーと共に来日している。弟のクリント・ハワードも俳優である。1975年に高校時代からの恋人であった、女優シェリル・ハワードと結婚。4人の子の父であり、そのうち2人の娘ブライス・ダラス・ハワードとペイジ・ハワーは女優となっている。

絵に描いたような映画人一家です。家族のほとんどが俳優であり、ロン・ハワード監督作品には、彼の家族が多く出演しています。特に父親のランス・ハワードはヒット作のほとんどに出演、娘のブライス・ダラス・ハワードも幼い頃は父親の作品に多く出演しています。彼の監督作品のキャスティングをよく観察すると他にもいろんな発見があって大変面白いです。
18-85_20140105030745589.jpg
妻のシェリル・アリー・ハワードさん                           弟のクリント・ハワード  娘のブライス・ダラス・ハワード



★受賞★
2001年 [第74回アカデミー賞]『ビューティフル・マインド』監督賞

※俳優として受賞※
子役時代に8年間演じたシットコム『メイベリー110番』のオーピー・テイラー役
10代の頃に6年間演じたシットコム『ハッピーデイズ』のリッチー・カニンガム役

[作品]
1977年 バニシングIN TURBO
1982年 ラブ IN ニューヨーク  
1984年 スプラッシュ  
1985年 コクーン  
1986年 ガン・ホー  
1988年 ウィロー  
1989年 バックマン家の人々
1991年 バックドラフト
1992年 遥かなる大地へ
1994年 ザ・ペーパー
1995年 アポロ13
1996年 身代金
1998年 エドtv Edtv
2000年 グリンチ How the Grinch Stole Christmas
2001年 ビューティフル・マインド
2003年 ミッシング
2005年 シンデレラマン
2006年 ダ・ヴィンチ・コード
2008年 フロスト×ニクソン
2009年 天使と悪魔 Angels & Demons
2011年 僕が結婚を決めたワケ
2013年 ラッシュ/プライドと友情




★外部関連記事★

ラッシュ/プライドと友情 F1史上最も劇的な“事件”を映画化。『ラッシュ』予告編が解禁
『アポロ13』『天使と悪魔』の名匠ロン・ハワード監督が、1976年に起こったF1史上最もドラマチックな事件を映画化した『ラッシュ(原題)』が来年2月に日本公開されることが決まり、このほど予告編映像が公開された。

2014-01-02(Thu)

ジョナサンのおもしろ画像/ジョナサン・リースマイヤーズ


舌ベロリン♪~な、ジョナサン   ・・・女性と並んでいる写真の彼は散歩に連れていってもらっているワンコのよう・・・。
R (2)
なくて七癖とはいいますが・・左下の画像は二癖でています。(◎Ь◎)ギョロメとレロリン・・・♪ 
789663.jpg
・・・・・プププ・・年老いたヘンリー8世王役の白髪姿の時まで・・。

jonathanrhysmeyersbi.jpg
これは一体なんの遊びでしょうか?????

1112262036108_20140102164349f15.jpg
もらって嬉しい♪ダンス・ウィズ・剣玉          今年も宜しくお願いします。

◆内部関連記事◆

ジョナサン・リースマイヤーズ Jonathan Rhys-Meyers プロフィール



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