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2013-04-16(Tue)

太陽の雫/あるユダヤ人一族の100年物語

1999年 ハンガリー
Sunshine.jpgハンガリーの激動の時代を生きた、あるユダヤ人一族の物語。
めまぐるしく変化する社会情勢と凄まじい政権闘争の波に翻弄された一族の栄華と衰退。
レイフ・ファインズが親子3世代3役を演じ、3代目のイヴァンが語り手となって物語は進む。

(エマヌエル・ジャネンソンの物語)
語り手イヴァンの曽祖父は「エマヌエル・ゾネンシャシン」エマヌエルは母と弟を養うため、12歳でオーストリア、ハンガリー帝国の村を出て仕事を探す。19世紀末、彼はブタペストで25歳で自分の家と酒造所を建て、酒屋をやっていた父親の形見の黒い手帳のレシピで秘伝の薬草酒を作りサンシャインの味と命名、彼は一代で財を築いた。やがてエマヌエルはローズと結婚。

(イグナツの物語)
グスタグとイグナツが生まれ、従兄弟のヴァレリーが養女に来て3人は一緒に育った。イグナツは優秀な判事、グスタグは医者、ヴァレリーは写真家となり、家業の酒作りを継ぐものは誰もいなかったが、曽祖父エマヌエルは彼らを誇りとした。

イグナツの出世話があった際にユダヤ名を改名する話が持ち上がり、彼とヴァレリー、グスタグの3人はハンガリー姓に改名。やがてイグナツはヴァレリーと結婚する。20世紀に入り、長男「イシュトバン」とイヴァンの父である次男の「アダム」が生まれる。イグナツは帝国に忠誠し仕えた。一方医者になったグスタグは共産主義。しばしば二人は対立し口論をする。

ある日サラエボでオーストリア皇太子が暗殺され、皇帝が宣戦布告、第一次世界大戦(1914年)が始まる。グスタフは従軍医局高官として、イグナツは判事として南部戦線へ出征。戦時下の中イグナツは皇帝に呼ばれた。皇帝との謁見は人生最大の晴舞台であった。イグナツは駐屯地で皇帝への忠誠を最優先とした判決を下したが、やがて皇帝崩御、同時に父エマヌエルも他界した知らせが届く。そして敗戦。

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家に帰った彼は4年ぶりに会った妻ヴァレリーから離婚をしたいと言い渡され彼女は出て行く。まもなくハンガリーで革命が起きる。
1919年共産国家が誕生。グスタフは新政府の幹部となる。一方、判事として皇帝の名で裁いたイグナツは逮捕され自宅軟禁状態となる。その知らせを受けたヴァレリーは家に戻ってきた。

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その数ヵ月後、軍事政権が共産党を駆逐。指導部のグスタフはフランスへ亡命。イグナツは共産主義者への報復裁判の執行を拒否し判事を罷免された。彼は健康が悪化しその年に亡くなる。後を追うように曾祖母のローズも亡くなる。

(アダムの物語)
語り手の父「アダム」。彼もユダヤ人の侮蔑を受けながら成長する。青年となった彼は兄の薦めでフェンシングをはじめ市民クラブに入会。
実力をつけていくが、勝利しているはずの試合もユダヤ人である為、いつも2位。それでも腕前を認められ、ある日将校クラブへの誘いがある。移籍するには改宗をしなければならなかった。アダムはカトリックへ改宗し将校クラブに入会する。

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アダムは改宗する為に訪れていた教会で見初めた女性「ハンナ」を情熱的に口説き結婚する。翌年、兄のイシュトヴァンも「グレタ」という女性と結婚。その後アダムは2年連続でチャンピオンとなる。そしてハンナとグレタは続けて息子を出産、ハンナとアダムの子が物語の語り手「イヴァン」兄嫁のグレダは結婚前からアダムに気持ちが移っていた。彼女は後にアダムを誘惑する。ある日ユダヤ人から金銭を積れて市民クラブに戻らないかと言われるが、アダムは「ユダヤ人は金にモノを言わせてる」と不愉快な気持ちをあらわにする。彼にとっては、ユダヤ人との交流よりチームと仲間が大切だった。そして、1936年ベルリンオリンピックでアダムは金メダリストに輝く。彼は純粋に国を愛し、ハンガリーのために戦った。そんな時、アメリカのフェンシングクラブの会長をしているモルナーという人物に会う。彼はアダムが独裁政治の広告塔となっており、勝つことで体制の犯罪に加担してると指摘。「ドイツの言いなりでは災難を招きます。アメリカにへ移住をするなら手を貸す、早く国を出ることだ」と忠告されるが、彼はチームとクラブや家族の事を考え、ハンガリーは出ないと断る。彼の予測より状況ははるかに悪化。ラジオから流れる政権放送ではユダヤ人の活動が制限される。差別はさらにエスカレートし、危険を感じていたブレダは国を出る事を提案するが、彼はハンナのことを考えて出国できないと言う。やがて出国を決めるが、既にピザが取れなくなってしまい国境は閉鎖される。
オリンピックから僅か3年後、第二次世界大戦が始まる。

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ハンガリーはドイツに占領され、ハンナと祖母ヴァレリーはゲットーへ送られる。ハンナは別の場所に移動させられそこで殺される。祖母ヴァレリーは屋根裏へ隠れ無事であった。アダムとイヴァンは収容所へ送られ、アダムはイヴァンの目の前で拷問により殺される。アダムは自分を「ハンガリー人のメダリスト」と答え最後まで自身を「ユダヤ人」とは認めなかった。イヴァンは、ただ見ていることしかできなかった。
兄のイシュトヴァンはグレタと息子と共に隠れていたが見つかり、川岸に連行され千人のユダヤ人と共に射殺、死体は川に投げ込まれた。
5日後、ロシア軍がブダペストを開放、第二次世界大戦が終結する。
(1941年の時点でハンガリー国内のユダヤ人は80万人、1945年戦後には20万人となった)


(イヴァンの物語)
ブタペストの自宅に祖母ヴァレリーが帰った。お手伝いのカトも戻ってきた。共産党はフランスに亡命していたグスタグを呼び戻し彼も長年ぶりに自宅に帰る。青年の時に家を出たグスタグは老人となっていたが政治に復帰。そして収容所から生き延びたイヴァンが帰る。アダムが殺されたことをを聞いたヴァレリーとグスタクは悲しみ、グスタグはイヴァンを警察に入れてファシスト狩りをさせたらどうかと提案する。

(1946年ハンガリー第二共和国が成立しハンガリー王国は消滅)
(1949年ハンガリー勤労者党の一党独裁体制である社会主義国家ハンガリー人民共和国となる。[ソ連の衛星国])
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グスタグの紹介で警察へ行ったイヴァンは偶然にも父と交流のあったクノールと出会う。彼は言う「非道な行為をしたのはドイツ人だけではない。ハンガリー政府がユダヤ法をでっちあげ、国民がそれに従った。その結果、お父さんは殺されたのだ」と。そうして、イヴァンはファシスト狩りをはじめた。戦後の共産政権時代、彼は確実に成果を上げていき、やがて少佐となり次期大臣候補を期待されていた。スターリンの誕生日を祝う会場で彼は演説で「共産主義によりナチの支配から解放された」と感謝の意を捧げる。その日、会場にいた人妻キャロルに声を掛けられ、自宅途中まで送るが彼女に誘惑されイヴァンは恋に落ちる。翌日、クノールからキャロルの夫は外務省勤務の将軍派で敵に回すと厄介と忠告される。 それでもイヴァンはキャロルとの密会を続けていた。彼はある日、キャロルに一緒に暮らそうと告げるが、彼女は夫に見つかると殺されるし子供も渡さないだろう。離婚は無理と言う。彼女は怯えていた。

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そんなある日イヴァンは将軍に呼ばれる。イスラエルからヤミ資金がまわっており、イスラエル・シオニストの陰謀だろうと言う。将軍は社会主義の転覆を謀った奴を起訴する事が君の仕事であり、「君の上司のクノールはそんなユダヤの筆頭だ」と告げた。イスラエルのスパイと話している映像の証拠があるので、彼を尋問して吐かせろと命令する。恩師であるクノールを尋問しなければならないことになったイヴァン。証拠がある以上尋問をしない訳にはいかずイヴァンはクノールに証拠を提示し問い詰めた。しかし、証拠は作り物のでっち上げ。彼は国家転覆の陰謀に関わったことはなく、さらに戦争中、彼もアウシュビッツ収容所にいた事を明かす。イヴァンはクノールが有罪の証拠がない事を報告するが将軍は殴って自白させろという。

そんな頃、高齢のグスタグが亡くなる。イヴァンと祖母ヴァレリーの二人だけになってしまった。

引き続きクノールの尋問を続けた彼の結論は、シオニストと国家転覆を謀った事実は皆無。でっち上げ情報だと報告すると、クノールを陥れたい将軍は怒り、他の者にクノールの尋問を変えた。イヴァンは罪のないクノールを殴ることなどできず、彼を尋問する役目から開放されたが、これによりイヴァンは警察を辞める決心をする。キャロルを呼び出し一緒に逃げてくれと告げるが、キャロルは拒否。「あなたを愛したのは間違いだった、私が安心できる冷静で強い男かと思っていた」彼女はイヴァンに別れを告げる。「冷酷な雌犬め、僕を愛したのは昇進目当てか、地獄に落ちろ」と、二人は互いに傷つけ合い別れた。

ある日の夜、孫イヴァンに祖母ヴァレリーは若き頃、自分が家を飛び出したときの話をする。「ある男性に恋をして家を出た。あなたのお爺様が期待したような人ではなかったの。彼に失望してしまった。私が恋した男性は情熱的で素敵だった。でも夫が軟禁されて私は舞い戻ったの。あなたも生きる喜びを見つけて」

その年の春スターリンが死去(1953年)。共産党内で権力闘争が始まる。スターリンの罪が暴露され、将軍が逮捕されたが、情勢は何も変わらずに共産主義の独裁政権は続いた。恩師クノールは名誉を回復したが、彼は亡くなりイヴァンは彼の遺体確認をする事になった。 彼は過酷な殴打により死亡していた。イヴァンは弔辞で彼に罪の償いの言葉を捧げ、独裁体制を告発する急先鋒になることを決心する。

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1956年10月、ハンガリーで革命が起きた。民衆は武器をとりソ連軍に立ち向かった。一旦は革命が成功したかに見えたが、10日後大量の戦車がなだれ込み人々は再び戦車と戦った。戦いはソビエト軍により鎮圧され、イヴァンは演説していたところをフィルムに撮られていたため、それが証拠となり5年間の刑を受け投獄される。彼は3年後に出所し自宅に戻った。自宅に帰ったイヴァンはヴァレリーに聞く。「何故僕らは共産主義に?」「私たちの運命よ、ユダヤ法 強制収容所、戦争から共産党が救ってくれた。政治に翻弄されたの。そんな中でも人生は美しい、その美しさを写真に撮りたくても、すり抜けてしまうの」「あなたは何をしたいの?」と問われ、イヴァンは「判らない」と答える。

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翌日、思い立ったように二人は酒のレシピを探しだした。はるか昔に屋敷のどこかにしまい忘れたレシピは、いつでも彼ら一族の「生きていく為のレシピのような存在」になっていた。そんな中、祖母ヴァレリーは倒れる。病院に運ばれた彼女は、名前を聞かれると「ゾネンシャシン」と名乗る。まもなく祖母ヴァレリーも亡くなる。イヴァンはとうとう一人になった。そして彼は「自分が何者なのか」さえ判らなくなる。

彼は家の中の物を全てを処分した。古い箱の中から手紙が見つかる。それは曽祖父からイグナツ宛ての手紙だった。一緒に足元に落としてしまった手帳があったが手紙に気をとられていた彼は気にも留めなかった。手帳は長年探していた薬草酒のレシピだった。薬草酒のレシピはゴミ収集車の中に放り込まれ消える。イヴァンは曽祖父の手紙の言葉だけを胸に刻む。それこそが生き方のレシピのようなものだった。
 
イヴァンは名前を変更した。「ゾネンシャシン」彼は初めて偽りから開放されたような気分になった。 
自分の人生の意味を見つけるためには、まずはじめにこうするしかなかったと自覚して。
君主制 ファシスト 共産主義 みんな露と消えた。家財も、家族も、肩書きも、何もない。

これからどこへ行くのだろう。そんなイヴァンの表情は明るく軽い足取りで人波の中に消えていった。

[あとがき]
3時間の大作です。時代は次々に変化し駆け足で物語が進みます。これだけの歴史と親子3代の人生の映像化なので面白味のある仕上がりではありませんが、長時間にも関わらず、全く長く感じられない作品です。レイフ・ファインズがそれぞれの個性を掴み、3役を見事に演じているところが見所です。彼はシンドラーのリストではユダヤ人を惨殺する側、当作品ではユダヤ人として惨殺される側を演じました。ユダヤ人収容所を舞台として、対照的な役柄をした役者さんは他にはいないのではないでしょうか。当時のユダヤ人の状況と、ハンガリーの歴史を知るにも良くできた作品であると思います。ここに登場する彼らは、ユダヤの誇りとかプライドとかを前面に出さずに国に同化しようと努力します。名前を変えて、改宗をして、国家に身を投じ、そしてユダヤと決別。それでも認められずに侮蔑され迫害される。どんなに努力をしても、どこにも身の置き場がないという不幸。そして収容所を生き延びても尚、世間は彼らに冷たく、イヴァンの上司がクノールの尋問命令を出すときに「ユダヤ人がいい仕事を独占しているからだ」と妬みと嫉妬の感情を生々しく口走るシーンは、当時の社会の描写であるという印象を受けます。そんな状況でも、彼らは希望を持ち懸命に生きるのです。そして恋もします。ヴァレリーが孫のイヴァンに自分が不倫をしていた話をしますが、この事が生きる喜びだったと解釈できるような話の纏め方をしています。親子3代、3人の男たちの女性との関わりは、決して幸せなものではありませんでした。きっとヴァレリーは、人生は不完全で残酷、完璧ではない。それでも「懸命に生きている姿が美しい」というようなことを伝えたかったのでしょう。最後のシーンで、軽やかに歩くイヴァンの姿は、現代人にぐっと近づいて見えました。何にも縛られず、自分の意思で自由に生きていく。映画の中の彼と同様、なんだか清爽とした感覚に浸りました。何をするべきか見失った時には、この作品を思い出して観てみるのも良いかもしれません。

太陽の雫 [DVD]

[監督]
イシュトヴァン・サボー
[出演]
イグナツ/アダム/イヴァン    レイフ・ファインズ
ヴァレリー (晩年)         ローズマリー・ハリス
ヴァレリー (若年)         ジェニファー・イーリー
グレタ                レイチェル・ワイズ
ハンナ               モリー・パーカー
キャロル              デボラ・カーラ・アンガー
グスタフ (若年)          ジェームズ・フレイン
グスタフ (晩年)          ジョン・ネヴィル
クノール              ウィリアム・ハート
ローズ               ミリアム・マーゴリーズ

★受賞★
1999年ヨーロッパ映画賞 男優賞(レイフ・ファインズ)/ 脚本賞受賞




ハンガリー動乱(1956年10月23日-1956年11月10日)/1956年のハンガリーの革命

1956年10月23日、ハンガリーの人々は政府に対して蜂起。人々は多くの政府関係施設や区域を占拠。それに対しソビエト軍は1956年10月23日と停戦をはさんだ1956年11月1日の2回、反乱に対して介入、多くの犠牲者を出した。

[経緯]
1953年にスターリンが死去、共産圏で非スターリン化が起こる。国民全体から不満が巻き起こっており、労働環境の改善や言論の自由を要求、学生も学ぶ環境の改善の為、独自の組織を設立していた。さらにソビエト共産党内部で行われたニキータ・フルシチョフスターリン批判演説が幹部たちに大きな議論を呼び起こしていた。1956年7月18日ソ連の圧力によりラーコシが党書記長が辞任。国内ではハンガリーの問題を見直そうとする動きが広がっていた。後任に、スターリン主義者のゲレー・エルネーが選出されると国民は反発、ブダペストで大規模デモが起こる。ソ連指導部は急遽、党幹部会のアナスタス・ミコヤンらの派遣を決定したが事態を収拾する間もなく蜂起が勃発する。ミコヤンらがハンガリーに向かっている間に、ソ連指導部はハンガリーに対する出兵を決定。ハンガリーから戻って真相を知ったミコヤンは、フルシチョフの自宅に押しかけ派兵の撤回を求めたがフルシチョフはこれを拒否した。

1956年10月23日、ゲレーの退陣を求めて学生たちがブダペストをデモ行進し多数の労働者もそれに加わる。夜になりデモ隊と秘密警察との間で衝突が始まると、ハンガリー勤労者党指導部は急遽、前首相ナジ・イムレを復職させる決定をした。翌24日、ナジは正式に首相に任命されたが、その頃ブダペストの町はすでに民衆とソビエト軍の戦闘状態にあった。その後ブダペストのソビエト軍も戦闘を一旦停止した。

労働者評議会と国民評議会が組織され、大多数の民衆は社会主義を維持しようとする政党を支持した。大衆はワルシャワ条約機構からの脱退をナジ政府に迫った為、融和的態度の限界に達したソビエトは再び武力により鎮圧することを決定させ、一旦は引き揚げた軍隊を再度ハンガリー領に侵攻させることとなる。10月25日、ナジは戒厳令を取り下げる。街の人々の中にはソビエト軍の戦車に近付き兵士と話し合う者もいた。説得に応じたソビエト兵らは、ハンガリー人を戦車に乗せて国会前広場へと移動し約700人が集まる。しかし突然発砲が始まり国会前広場は血の海と化す。約100人が死亡、約300人が負傷。この事件については秘密警察の発砲が原因であるとの見解もある。

ミシュコルツでは労働者によるストが起きブダペストでナジ首相と直談判をおこなった。ミコヤンの報告によると、彼とナジとの会談が行われ、その結果ソビエト軍の撤退が宣言された。10月29日には警察、軍隊、市民による国民防衛隊が結成。翌10月30日にはミコヤンが、ハンガリー軍に統制を任せるべきと報告している。これを受け、ソビエト軍撤退が開始。しかし同日午前9時頃、共産党ブダペスト地区本部で秘密警察隊員と民衆との間で衝突が始まり、建物から出る武器を持たない秘密警察隊員らが次々と民衆により射殺、その後も命乞いをしながら出てくる秘密警察隊員や勤労者党書記らがリンチされた挙句、遺体が街路樹にさらされるという事態になった。
この事件を聞いたミコヤンは翌日10月31日に反ソビエト活動の活発化を報告している。フルシチョフはチトー大統領との会談で軍事介入の可能性に言及し、ナジは中立を宣言したが、国連や西側諸国からの具体的支援はなかった。

11月4日に新たなソビエト軍部隊(戦車2500両・15万人の歩兵部隊)が侵攻した。

11月10日に労働者評議会や学生・知識人たちが休戦を呼びかけるまで、ハンガリーの労働者階級はソビエト軍との戦闘で重要な役割を演じた。11月10日から12月19日の間、労働者評議会は、ソビエトの占領軍と直接交渉し、結果として何人かの政治犯の釈放はできたが、ソビエト軍を撤退させることはできなかった。加えて、ソビエト連邦に支援されたカーダール・ヤーノシュが新しい共産主義政府を組織し、1956年以降ハンガリーを統治していくこととなった。散発的な武力抵抗やストライキは1957年の中頃まで続いた。

ナジはユーゴスラビア大使館に避難したが、安全確保を保障されて大使館を出たところをソ連軍に捕まり、ルーマニアに連行されて2年後に処刑された。政権の閣僚や評議会を指導していた多くの市民、およそ1200人がカーダール政府によって処刑された。このとき逮捕された政治囚は1963年までにカーダール政府によってほとんどが釈放された。この一連の戦闘の結果、ハンガリー側では死者が17000人に上り、20万人以上が難民となり亡命。ソビエト側は1900人の犠牲者を出した。

ハンガリーの歴史(Wiki)

★外部関連記事★

ものろぎや・そりてえる/読書と映画と、それから何を?/ハプスブルク帝国について
「太陽の雫」(1999年)という映画を観たことがある。あるユダヤ系ハンガリー人一家四代を主軸に第一次世界大戦から共産主義体制までハンガリー現代史を描き出した大河ドラマだ。初めの方、第一次世界大戦で軍医として出征する一家の長男がフランツ=ヨーゼフ1世に拝謁し、感激に打ち震えるシーンがあったのを覚えている。・・・第一次世界大戦後、民族自決論に基づいて中東欧で新しい国々が生まれた。ここにおけるナショナリズムは、具体的には一民族=一国家を目指す国民国家イデオロギーを意味する。中東欧の入り組んだ民族分布状況においてこの原則を適用しようとすれば、国境線の引き方、少数派への同化圧力など様々な軋轢が激しくなるのは明らかであった。チェコ国内ズデーテン地方のドイツ人問題はナチスの膨脹主義の口実となったし、ユーゴ紛争の火種の一因もやはりこの頃にある。第一次世界大戦を契機にオーストリア=ハンガリー、ロシア、オスマンといった帝国が相次いで崩壊したが、これは時代遅れとなった古い体制がほころびたというだけでなく、19世紀以来の国民国家イデオロギー(これは国家内の均質性を求める)が持つ強烈なエネルギーが“帝国”の政治的多元性を否定したという側面があったことも無視できない。

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