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2015-01-09(Fri)

さよならアドルフ/泥と禊と・・・・

2012年 オーストラリア・ドイツ
さよならアドルフヒトラー政権崩壊直後のドイツ。ナチ党員だった両親をもつある兄弟姉妹の物語。戦争犯罪人となった両親は出頭し彼らは親を失う。複数の国の占領下となった土地を渡り歩き、戦争の爪あとを映し出しながら、乳飲み子を含む弟や妹4人を連れて900キロにも及ぶ祖母の上を目指します。多くの人々が生きるのに精一杯な混乱の時代の中で、彼女達の前に一人の青年が現れる。ナチの子として教育された少女の心の葛藤と価値観の崩壊。そして、二人の複雑な恋心を絶妙に描いた作品です。

主人公は一番上の14歳の少女「ローレ」。ドイツ崩壊直後、家族は身を隠すために持てるだけの貴重品を持ち家を出た。子供達は何が起きたのかも理解できぬまま山の中の農場の隣家へ。父は連合軍に出頭したのだろう。すぐにいなくなった。そして居場所を知られた(らしい?)母親は銀のスプーンを持ちだし出かけていった。帰宅した母は下半身傷だらけ。彼女は忌み嫌われる存在になっていた。どんな仕打ちを受けたかは想像通りなのだろう。ナチの歌をかけながら「もうおしまい、総裁は亡くなった!」と嘆いた。そして母親も出頭する。「戻ってこれるかもしれない。でも、もし戻らなかったら祖母の家へ」と言い残しローレに貴重品を手渡した。そして乳飲み子は殺されてしまうので連れて行けないという。冒頭のシーンで、断種法の書籍が映し出され、カルテのようなものを焼却しているシーンがある。母親が戦争犯罪人として裁かれるとすれば、ナチ党員で医者であること。「人体実験」や「断種に銘打った殺処分」に関与したのかもしれない。子供達は、そんな両親がやっていたことなど知る由もありません。そんな母親は父親より明らかに立場が上で、家庭では子供の面倒を見ているシーンもありません。いつもタバコを吸って命令するだけ。娘二人は弟たちの面倒をよく見ています。決して子供達に愛情がなかったわけではないようですが・・。そんな母が別れ際に告げた。「誇りを失わないで」

僅かな望みを期待したが母は帰らず、やがて空腹のためか、双子の弟のうち一人が隣家に盗みを働いた。小屋を借りていた隣の主人に「赤ん坊を置いて出て行け」と言われ、彼女は兄弟たちに「両親は祖母の所にいる」と言い聞かせて出て行くことを決めます。ナチスの実態を知った人達はナチ党員の子供であるというだけで彼らに冷たく、手を差し伸べてくれる大人もいません。生きていくためにはここを出る以外、他に道はないのです。ドイツ南部のシュヴァルツヴァルトから祖母のいるドイツ北部のハンブルグまで900キロ。それでも気丈なローレは弱みを見せません。だから妹と弟達もさほど不安がないように見えます。途中で道で会った人に馬車に乗せてほしいと頼むも断られるが「赤ちゃんに」と食べ物を貰うことができたため、彼女は「赤ん坊がいれば食べ物が貰える」という思い込みをしてしまうようです。当時のドイツは様々な国に占領されており、祖母のいる土地まで行くには、彼女達のいるアメリカ占領区から、ソビエト占領区、そしてイギリス占領区を抜けなくてはなりません。馬車に乗っていた人はフランス領に向かうところでした。しかも占領地を抜けるごとに「許可証」が要ることを兄弟達は知りません。私は、きっと赤ちゃんが途中で死んでしまうのだろうと思った。それほど冷たく淡々とした雰囲気で物語は進むのです。

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凄惨な遺体を目にしても、子供達は慣れっこ。 金品は生きるための物資と交換し消えていく。  この現実をドイツの一般市民は知らなかった。

ある町にたどり着き、ローレは乳をあげてくれる女性を探しだすと、いつか廃墟で出くわした青年が近くに立っていた。彼は一瞬「赤ん坊がいたのか?」というような表情をします。その町では新聞が貼り出されており、ユダヤ人虐殺の光景を写した記事に人だかりが出来ていた。それを見たローレは、その凄惨さと両親の犯した罪を知り愕然とする。その夜、ローレは新聞の写真を手で切り取り持ち出すと、あの青年が近寄ってきて「なにをしている」と切り取った写真を見ようとした。それを振り払いその場を立ち去ります。ローレが切り取った写真は、やせ細ったユダヤ人ではなく、その横にいるナチス親衛隊の男でした。なんと、父親だったのです。翌日兄弟達は街をでて歩いていると、あの青年がずっと後をついてきていた。

つけられていると知った兄弟達はある民家へ。そこでは未だ、ヒトラーを崇拝する中年女性がいました。ここの主は拳銃自殺をしていて遺体は別室で放置されています。女性に金品を渡し、少しは助けてもらいましたが、彼女はホロコーストの写真はアメリカのでっちあげだといい、弟達に戦争の歌を歌わせ高慢な態度をとります。いよいよ我慢できずこの家を出ることに。これでもう、兄弟達には頼みの綱の金品は全てなくなりました。

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青年は再び兄弟達の前に現れます。ローレが赤ん坊を抱いて彼の目の前に立っても彼は無言のまま。だた赤ん坊の顔を覗き込むだけ。こんなに接近しても二人の間には会話はありません。ローレは再び歩き出し青年はずっと後をついてきます。しかし、彼女達がある一台の車に乗った連合軍兵士に呼び止められると、青年が近寄ってきて「自分はユダヤ人で兄だ」といい、その場を切り抜けます。青年の名は「トーマス」ユダヤ人の登録証明書を持っていた。こうして彼女達はトーマスと一緒に旅をすることになります。彼は食料を調達し、弟たちの面倒を見るようになります。弟たちや妹はすぐにトーマスに懐きますがローレは違いました。両親からの影響で、ユダヤ人を受け入れず、それどこか彼を愚弄しさらには、赤ん坊目当ての寄生虫だと妹のリーゼルに話します。そして本人には「弟達には触らないで!」などと拒絶の言葉を吐いてしまう。トーマスは反発的な眼差しで彼女の足を触りはじめます。「だったら、おまえならいいのかよ」と言っているようです。脅かしで本気には見えませんが、驚いたローレはトーマスから離れます。彼は言葉少ない青年で、自分の事も語りません。だから、その心理は表情と行動からしか推測することしかできません。彼の過去になにがあったのでしょう。酷いことを言われながらも、トーマスは兄弟達から去ろうとしませんでした。

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トーマスは弟の隣で寝て、弟と話をしています。自分は盗みをはたらいて刑務所にいたといいます。弟を真ん中に挟んで、その隣にいるローレの足に自分の足を乗せてみたり、ローレの髪に触れて戯れています。ローレはそれを知っていてもじっとしているのです。ユダヤ人を見下してはいるものの、彼女はトーマスを嫌っているようにはみえません。しかし、厳格な両親に育てられた14歳のローレには、まだ恋愛の仕方など判りません。それより先に知ってしまったのは、「男が見返りとして求めるもの」でした。

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やがて、ローレの心に変化が起こりますが、ユダヤ人に対する偏見をぬぐい切れないためか、母の言う「誇り」のためか、そんな心境が彼女に突拍子もない行動をさせます。ローレは、トーマスの手をとり、自分の身体を委ねようとします。「恋心」か、「見返り」か。いずれにせよ、言葉に出来ないことが、もどかしいです。しかしトーマスは結局、それを受け入れません。「見返りならいらない」ということなのでしょう。ローレのほうは拒絶されたと思ったかもしれません。

この場所から出発する時、彼女は大事に持っていた父親の写真と、いつか街頭で切り取った切抜きを一緒に重ねて、汚泥の中に埋めます。父親が迫害してきたユダヤ人に自分たちは助けられていると自覚しているローレ。父を恥じ「決別」を決心したのではないでしょうか。

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道中、橋を渡らなければならなかったが、橋は戦争で破壊されています。トーマスは赤ん坊を背負い、泳いで渡ると言いますが、この期に及んでも、ローレはトーマスが赤ん坊をそのまま連れて逃げる気だと、彼を信用していません。そして、ローレはトーマスにも頼まず、どうにかならないかと一人で破壊された橋のほうへ行きます。すると1人の猟師がいました。「船を出して欲しい」と頼み込みますが金品もなく、相手にされません。心配し後からきたトーマスが見たものは、ワンピースの胸元のボタンを、猟師の前で開けるローレの姿。二人は罪を犯します。彼女がこのとき見ていたのは猟師ではなく、猟師の後ろで石を振りかざすトーマスの姿でした。震えが止まらないローレのワンピースのボタンを留めるトーマスの姿はまるで、妹に服を着せている兄のように見えます。

ようやくソ連占領区前にたどり着いた。しかし通行禁止になっていた為、トーマスは夜中に森を抜けるという。兄弟達は森の中を移動するユダヤ人や、行き倒れの遺体に遭遇したりして進む。そしてトーマスがポーランド語を話せることを知る。こうして何日も森の中での移動と野宿が続きます。

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休息をとり横になると、再び、トーマスはローレの傍に横たわり何も言わず手や、髪に触れるだけ。ローレは何の反応もありません。

途中、おなかがすいたという弟の為に、トーマスは、ここを動かず待っているようにと言い残すと、一人で食料を盗みに行きます。やがて遠くにいる人影を見た弟ギュンターは「トーマスが戻ってきた!」と走りその場をはなれてしまう。その結果、命を落とします。追われていたトーマスは、食料を持って戻りましたが、ギュンターが即死しているのを確認するとみんなを連れて逃げました。ローレは弟の遺体に触ることも、別れを告げることも、埋葬することも出来ませんでした。

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弟を失った悲しみを引きずりながらも、兄弟達は再び歩き始めます。やがて、最後の占領区を抜ける。もう検問はなく、列車にも乗れる。あとは、母が言った泥の道を歩くだけだ。そしてトーマスは去ろうとしていた。けれど、それを察知していたローレは引き止めます。彼女は「頼りたい」のではなく、彼に「傍にいて欲しい」存在になっていたのです。トーマスが自分ではなく、赤ん坊のほうを気にかけていると思っているローレは、「赤ん坊をあげる!弟にしていいわ!」とまで言って彼を引き止めようとしますが無駄です。しかし最終的に彼を引き止めたのは、彼女が信じていたものが全て偽りであり、、彼とその家族を苦しめたであろう、自分は「ナチの子」であることの苦悩に苛まれるのだと、プライドも、誇りも、全て投げ出し、彼にすがりつき、泣きくずれたからでした。トーマスが自分にとって特別な存在になった今となって気づいたのです。彼女はもっと早く、人種の差別から生まれたナチスの誇りなど捨てるべきでした。

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こうして全員が列車に乗りこんだ。しかし、ローレの、あの時の必死の願いは空しく、身分確認の為に列車は止められる。トーマスはあるはずの身分証を探すが無くなっていることに気づき、列車を降りた。ローレは、悲痛な表情をするが、列車内には警察官がいる。彼を引き止めるために、もう泣くこともわめくことも出来ない。「さよなら」さえいえない突然の別れ。皮肉にも、姉の心を知った弟が、トーマスの身分証を隠していたのでした。良かれと思ってやったことが裏目に出たのです。

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ローレの手元に残ったのは身分証だけになった。、 けれど、それは他人のもの。           弟は彼がトーマスではないことを知っていた。

青年を失ったローレは祖母のところで生きる屍のようになっていました。その祖母は厳格な典型的ドイツ女性でした。祖母が弟に食事の無作法を厳しく咎めると、それに反発したローレは手でパンを丸かじりして飲み物をわざとこぼし、そしてテーブルからすすり飲んでみせるのです。ドイツ人が豊かな食事を「お行儀よく」食べている一方で、収容所のユダヤ人たちは餓死してきた事を思ってたのかもしれません。両親の影響とはいえ、ユダヤ人を差別してきた自身も悔いているようにもみえます。そして、部屋に戻ると、旅の最後まで大事に持ってきた家族の思い出の品を、粉々に砕き潰すのでした。ローレがこの呪縛から開放されることは、おそらくありません。たったひとつの可能性だけを除いては・・・。

[あとがき]、
僅かな期待も裏切られる鬱々としたエンディングです。1回目に観たとき、「えっこれで終わりなの?」と誰しもが思うでしょう。しかし、2回目はそうではありませんでした。「この作品はこれでいいのかも」と思いました。本来、ハッピーエンドが好きな私ですが、この作品は好きです。謎は謎のまま。けれど、見えない向こう側にしっかりとした、別のストーリーがちゃんと出来上がっている上で、この作品が成り立っているのだろう。この青年が誰で、どんな事情で、何故、兄弟達を助けたのか。ちゃんとはっきりとした筋書があるように思います。混乱期の人々の姿を映し出しながら、主人公の、人種を超えた感情の変化、思春期の恋を絶妙なタッチで表現しています。原作は、『暗闇のなかで』の3部のなかの2部の単独の物語だというから、この作品はこのお話で完了なのですが、小説のほうには、まだ彼の境遇についてのヒントがあるかもしれません。だから、この小説は絶対に読んでみたいです。それから、この謎の青年についてですが、いくつか気づいた点を挙げておきましょう。最後の電車から姿を消した理由。彼が本当にユダヤ人であったなら、身分証明書がないからといって何故、姿を消す必要があったのでしょう。それと腕の囚人番号と思われる刺青。ユダヤ人で囚人番号があり、収容所にいたことが証明出来れば、証明書がなくとも身を隠す必要などないはずでした。しかし囚人に刺青をしていた、ただ1箇所の収容所「アウシュビッズ」では、刺青は左手首に行いました。彼は「右手」でした。つまり、彼はユダヤ人ではなかったのかもしれません。けれど家族を亡くし孤独だったことは、作品中からも想像できます。赤ん坊や弟達の扱いも上手いことから、彼には沢山の妹や弟がいたのかもしれません。彼がどこの国の人種なのかはわかりませんが、ポーランド語を話すことからポーランドに住んでいた可能性が強いでしょう。そしてユダヤ人と称して、身を隠さなければならなかった本当の理由。犯罪者であったことは確かですが、盗みだとは思えません。「映画上での殺人」は演出だというのだから、身を偽らなければならなかった彼の罪とは、殺人ではないでしょうか。おそらく家族を守るためにやったのではないかと。ここまで想像させるとは、この原作がベストセラーになるわけだわ。と納得。 最後のほうのシーンで、全く知らないユダヤ人の証明書を手にするローレが不憫ですね。このお話には、もう続きはありませんが、願わくば、二人がいつか、どこかで再会してくれればと思うのでした。(・・・・しかし!これはフィクッションです)だから、最後はこうしましょう。
彼は、ローレから聞いていた泥の道をとおり、青い風車のある大きな家を見つけるのです。ずっと兄弟のあとをついてきたあの時と同じように。
                                                                       
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                                                                やっぱりハッピーエンドが好きです
さよなら、アドルフ [DVD]


[監督]
ケイト・ショートランド
[出演]
ローレ サスキア・ローゼンダール
トーマス カイ・マリーナ -
リーゼル ネレ・トゥレープス -
ローレの母 ウルシーナ・ラルディ -
ローレの父 ハンス=ヨッヘン・ヴァーグナー




★外部関連記事★

Music for a while/Lore ナチの子供達の辿るいばらの道
しかし、ナチ教育が血肉となっている誇り高いローレはトマスを蔑み、彼の手助けに感謝することはあっても、同等に扱うことが出来ない。弟たちもトマスになつき兄のごとく慕ってはいても、心の底ではユダヤ人なんだから下等な人間、という思いを持っている。複雑な心理というか、3つ子の魂百までというか、トマスに対する理性の及ばない生理的嫌悪感とから来るローレの愛憎の表現が見事である。若い女流監督による映画作品を見る機会が、このところ多いのだが、映像に瑞々しさが溢れていて、重いテーマを扱っているのに暗さが軽減されて、美に昇華している。実に頼もしいことだと、感嘆するほかない。

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2013-05-25(Sat)

The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛/「建国の父」の心を継いだ娘

2011年 フランス
The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛ビルマ(現ミャンマー)の建国の勇士として今も国民から愛されている、アウンサン将軍
その娘として生まれたアウンサンスーチーの実録ドラマです。彼女の活動はまだ歴史に新しく、今でも民主化活動を続けています。そんな彼女の幼少時代、ビルマの国を語る父の記憶。


45587_20130525172322.jpg昔の話をしてあげよう。ビルマが黄金の国だった頃。

昔々ビルマはチークや黒壇の森が豊かな美しい国だった。
深い密林にはトラの姿があり緑溢れる草原には象もいた。
空の様に青いサファイヤ、お前の頬より赤いルビーが採れ
王女が夢見るより多くの宝石があった。

でも、とても悲しいことがおきた。

遠い国の兵士達がきて価値あるものを全て奪っていった。
そして、この国は貧しくなったんだ。

そしてある日、幼い彼女が大好きな父は殺されます。


年月は経ち、スーチーはイギリス人の夫マイケルと二人の息子と幸せにイギリスで暮らしていました。1988年、母の看病の為に祖国ビルマへ戻ります。長いこと祖国を離れていた彼女にとってこの国の現状はショックで耐えがたいものでした。軍事政権により民主主義運動を弾圧。迫害される人々、惨殺される学生。そんな中、民主主義運動家たちがアウンサン将軍の娘である彼女の帰国を知り選挙への出馬を訴えます。彼らの願いと国の惨状を知りえた彼女は立候補を決意します。しかし、それを機に軍事独裁政権からの圧力が始まります。

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マイケルと二人の息子は彼女に会う為に度々ビルマに訪れますが、政府の策略により家族の入国の拒否、息子達のパスポートの取消し、電話回線切断など、次第に家族から孤立させていきます。軍事政権との戦いだけではなく彼女自身の孤独な心との戦いでもありました。

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軍事政府はスーチーに選挙活動をさせまいと足止めさせた際に、銃を向け威嚇します。しかし、スーチーは銃をかまえた大勢の軍人の前を歩き出します。このときに軍人が判断を誤り発砲命令を出す可能性だってあったでしょう。号令を掛けた本人が発砲しなくとも号令者の後ろにいた大勢の兵士が発砲していた可能性もあります。スーチーの父が殉教者となり長年、国民に強い影響力を持つことを目の当たりにしていた政府は、娘まで殺せば国内の暴動はもとより世界的な批判が起こる事が確実であり脅威と考えていました。

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彼女の武器は「自分を殺せない」(だろう。)という予測だけでした。万が一そこで殺される事になっても彼女は自分の使命はそこまでと覚悟を決めていたのでしょう。これを期に軍政府は選挙活動を阻止しようとスーチを自宅軟禁にしてしまいます。

翌日、ニュースで妻が銃を向けられたことを知ったマイケルは、とても平常心ではいられませんでした。

スーチーはさらに捨て身の戦いをします。自宅軟禁になってすぐ夫マイケルが入国をしたとき彼女は、同士が牢獄に入れられ拷問を受けているなら自分も逮捕せよとハンガー・ストライキを起こしていました。このままでは本当に死んでしまうと考えたマイケルは軍事政府に出向き、仲間の拷問をやめればハンガーストライキをやめるという条件を出します。世情を顧慮した政府はその条件をのみ仲間の拷問を止めます。

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イギリスに帰国したマイケルは考えました。スーチーの活動を世界に知らしめる事で彼女の身の安全と、活動への理解と共感を深め、民主化を進める手助けになるのではと。彼は、ノーベル委員会にスーチーの現在置かれている現状を伝え、選考委員会に彼女が以前書いた父のアウンサン将軍についての論文や彼女の活動についての資料を送ります。

そして、選挙は始まります。国民民主連盟 圧勝。自宅に軟禁されていたのにも関わらずスーチーは大差で勝ったのです。
しかし軍事政府は政権移譲をする事も無く彼女の軟禁を解く事もしません。

そんな中、夫の尽力により彼女は軟禁状態のままノーベル平和賞を受賞します。これにより世界中の支持が彼女に集まります。スピーチは長男が行いました。スーチーは自宅の電気を切られた暗い部屋の中で懐中電灯の電池を入れたラジオでそれを聞き、涙を流します。

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その後、日本が関与してスーチーは軟禁状態から開放されます。

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強い使命感と共存して、母として妻としての彼女の苦しみはさらに続きます。夫が癌に侵され、彼のビザは何度申請してもおりることがありませんでした。命が僅かとなった時には流石に彼女はイギリスに帰国を考えましたが、マイケルもそれを望みません。一度出国したら最後、二度と再入国ができないことは明白でした。いままでの多くの犠牲者と自身と家族の長い戦いが無になってしまう事を意味しています。
彼女は国の平和と自身のためにとどまることを決意します。夫を心の底から愛していたスーチーにとって、非常に悲しい決断でした。

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電話で話すことも回線を切られままならず。そんな中で夫・マイケルは息を引き取ります。

陰湿な軍事政府に相対して。非暴力による民主化を訴え活動する彼女の勇気とやさしさ、家族に対する想いに心を打たれ何箇所かのシーンで涙がでてくる作品です。政治に携わるという事ではなくとも、女性はいかにして生きるべきか。という事を教えられるようです。彼女の心の根底にある強さと、その生き様を記憶に刻んでおきたいと感じる。世界に誇れる東洋の女性、そしてその偉大な夫の存在も。

エンディングの曲はいかにもリュックベンソンらしい。家族愛の表現も甘すぎない仕上がりになっています。スーチーを演じたのはハリウッドでも活躍中のミシェル・ヨー。スーチーを演じるために減量をしてかなり痩せており、ビルマ語のセリフを習得して撮影に望みました。そして世界にこの国の現状を発信する貴重な作品となりました。スーチーは夫の亡き後も度重なる軟禁状態に置かれ、2011年にようやく政治活動を再開させる事ができました。そんな彼女も67歳(2013年現在)一日でも早く国の民主化が確信に変わり、今までの活動が報われることを祈らずにはいられません。

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彼女は今も 亡き夫が好きだった品種の蘭の花を髪飾りにして人々の前で手を振っています。

The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛 [DVD]

[監督]
リュック・ベッソン
[出演]
アウンサンスーチー    ミシェール・ヨー
マイケル・アリス      デヴィッド・シューリス
キム・アリス        ジョナサン・ラゲット
アレクサンダー・アリス  ジョナサン・ウッドハウス
カーマ            ベネディクト・ウォン 
ルシンダ・フィリップス   スーザン・ウールドリッジ



                             【アウンサンスーチー年表】


  年 月・日アウンサンスーチー氏の経歴 と ビルマ(ミャンマー)政府の動き
1945年6月19日 アウンサンスーチーは建国の父アウンサン将軍の娘としてビルマの首都ラングーンで生まれる。
1947年7月19日アウンサン将軍がイギリスと独立に向けた交渉の中、政敵であった前首相の一味により閣僚と共に暗殺される。
1948年1月4日ビルマは生前のアウンサン将軍らの尽力により「ビルマ連邦共和国」としてイギリスから独立した。
1960年-母親キンチーがインド大使に赴任、スーチはそれに伴われ、デリーに移り住む。
1962年3月2日ネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こし憲法と議会を廃止。一党支配体制となる(ビルマ社会主義計画党(BSPP))
1962年-インドのデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。(~63年)
1964年-イギリス・オックスフォード大学・セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得。(~67年)
1964年3月ビルマ社会主義計画党を除く全政党に解散命令が出される。5月には1回目の高額紙幣廃貨令が実施された。
1968年-ロンドン大学東洋アフリカ研究学院に務める。
1969年-ニューヨーク国連事務局で行政・予算問題諮問委員会の副書記を務める。(~71年)
1972年-オックスフォードの後輩マイケル・アリスと結婚。2人の息子をもうける。
1972年-ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。
1974年1月3日ネ・ウィン将軍が新憲法制定。自ら大統領に就任。国名を「ビルマ連邦社会主義共和国」に改める。
1981年11月9日ネ・ウィン将軍は大統領を辞任するが引き続きBSPP議長として傀儡大統領を操る院政を継続。
1985年-京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日。アウンサン将軍について歴史研究を進める(~86年)
1985年11月BSPPが2回目の高額紙幣廃貨実施。流通紙幣の大半が紙くずと化す。
1987年9月国連はビルマを最も貧しい国のひとつ(最貧国)に認定。独裁政治による経済政策失敗により民主化運動が頻発。
1987年9月BSPPが3回目の高額紙幣廃貨実施。国民の怒りが爆発し学生を中心に反政府運動が激化。
1988年4月スーチーは病気の母を看護するためビルマに戻る。
1988年7月23日ネ・ウィン氏が(ビルマを最貧国にした責任を取り?)BSPPの議長を辞任、サン・ユー氏も大統領を辞任。セイン・ルイン氏が大統領となり政権を引継ぎ、戒厳令を敷く。
1988年8月8日学生をはじめ全ビルマ国民による反政府運動(8888民主化運動)が最高潮に達し、BSPP軍は武力でこれを鎮圧。
1988年8月12日セイン・ルイン氏が大統領を辞任。
1988年8月26日スーチー氏はシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行い民主主義政府を要求。
1988年9月18日国軍によるクーデター勃発、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権が誕生。国家法秩序回復評議会SLORCを発足。これを中心に国家運営を始めた。SLORCは民政移管までの「暫定政権」と規定し複数政党制を認め2年後の1990年に選挙を行うことを約束。しかし民主化運動は徹底的に弾圧され1000人以上が殺害される。
1988年9月24日スーチー氏は1990年に予定された選挙への参加を目指し、全国遊説を行う。国民民主連盟(NLD)が設立され、総合書記長に就任。
1988年12月27日母・キンチー没する。葬列に多くの支持者が参列し、軍政・SLORCに反対する平和的抗議と化した。
1989年4月 5日イラワジデルタで遊説中にライフルをスーチー氏に向けるよう命令を受けたSLORC軍と対峙、現場にいた少佐が介入し彼女の暗殺は回避された。
1989年6月18日SLORCは英語の公式国名を「ミャンマー連邦(Union of Myanmar)」首都「ラングーン」を「ヤンゴン」に改称。
1989年6月21日スーチー氏らは1988年の蜂起で殺害された反対派の追悼式に出席。その際、SLORC軍は学生を数名拘束した。
1989年7月20日SLORCは起訴や裁判なく3年間拘留できるとした戒厳令に基づきスーチー氏を自宅軟禁。その際に自宅にいた学生達を取調べするとして連行。これに抗議した彼女はハンストを行う。
1990年5月27日総選挙が実施され国民民主連盟(NLD)は議席の82%を獲得し大勝する。しかし軍政側は「民政移管のための堅固な憲法が必要であり政権移譲より先に新憲法制定を優先させる」と、その時期を引き延ばす作戦にでる。NLDがこれに反発すると、SLORCはNLDの選出議員の投獄及び資格剥奪などを行ったため国際的に激しい非難を浴びる。
1990年10月12日ラフト人権賞を受賞する。(軟禁中により本人不在)
1990年12月19日国連のデクレアル事務総長がスーチー氏の釈放を求める。SLORCは「夫や子供と一緒にいたいなら人道的な見地から彼女の出国を認める」と声明を出した。
1991年7月10日サハロフ賞(ヨーロッパ議会の人権賞)を受賞。(軟禁中により本人不在)
1991年8月10日SLORCは、スーチー氏を起訴・裁判を行わず5年間拘留できるよう日付を遡り法律を改正した。
1991年3月NLDによりスーチー氏は総書記を解任される。
1992年-ノーベル平和賞を受賞。賞金130万ドルはビルマ国民の健康と教育の為の基金に使われた。
1992年4月23日ソオ・マウン氏が解任、タン・シュエ将軍がSLORC議長に就任。
1992年12月NLDによりスーチー氏は党籍を剥奪 される。
1993年-「恐怖からの自由(日本語訳『自由』集英社)」などのスーチー氏の著作がロンドンで発行される。
1993年1月9日SLORCは制憲国民会議を発足。しかし招集されたメンバーのー殆どがSLORC関係者であった。
1994年1月21日SLORCは現行法でスーチー氏は6年まで拘留可能だと拘留を続けた。拘留は通常5年間だが、外務・内務・軍事の3大臣からなる3者委員会の決定で1年延長できるとした。
1994年2月14日国連DP住民代表のヨハン・ラヒーム氏とアメリカの議員ビル・リチャード氏とニューヨークタイムズ記者フィリップ・シェノン氏が家族以外で初めてスーチー氏を訪問した。
1994年9月20日スーチー氏はSLORC・タンシュエ将軍とキンニュン将軍と会談する。
1994年10月28日スーチー氏とキンニュン将軍との2度目の会談が迎賓館で行われた。
1995年7月10日刑期満了のためスーチー氏は自宅軟禁解除となる。 その週末に自宅前集会を行って大勢の聴衆を集めたが、軍政によって中止に追い込まれた。
1995年10月10日スーチー氏はNLD総書記に復帰 (NLDは、SLORCから指導部変更を禁止されていた。)
1995年11月28日新憲法策定のための制憲国民会議に招集されたメンバーが殆どSLORC関係者であった為、スーチー氏は軍政首脳との直接対話を要求していた。しかしSLORCはこれに応じなかった。その為、NLDはSLORCに対し国民会議から引き上げると通告する。
1995年11月29日NLDは制憲国民会議のボイコットを決断。SLORCは対抗措置としてNLD側委員を除名する。会議は事実上休眠状態となる(2003年に再開)。
1996年5月20日SLORCは国営新聞を利用しスーチー氏やNLDの幹部に対し醜聞のニュースを流し、彼女が家の外で行っている集会の中止を命令。出席予定だったNLD党員の一掃が行われた。
1996年7月スーチー氏は記者団に対し、ビルマ民主主義の復興の為に力を注ぐと述べ、「ビルマに投資を」と考えている外国企業に対しては民主主義が回復されるまで待つように要請した。
1996年9月26日NLD党員159名と党支持者414名がNLDの会議前に逮捕される。
1997年5月21日アメリカ政府はビルマの人権侵害問題を受けて制裁措置をとる。
1997年7月23日ビルマがASEANの正式加盟国に認定される。
1997年9月アウンサンスーチー氏が自宅前での集会を認められる。
1997年11月15日軍事政権「国家平和発展評議会」はSLORC→SPDCに改名 軍事政権「国家平和開発評議会」
1998年7月23日NLD関係者に会う為ヤンゴンを出ようとしたスーチー氏はSPDC軍から妨害され数日間車中で過ごす。5日間の膠着状態が続き軍は彼女の車を包囲し家に強制送還してしまう。
1998年8月12日スーチー氏はNLD党員に会うため再び首都郊外、ヤンゴンの西のバセインに向かったが前回と同様、SPDC軍により再度足止めされ水や食料の補給を許されず断念する。
1998年9月16日NLDは1990年の総選挙結果に基づく議会の開催を幾度もSPDCに申し入れたが応じなかった為、それに対抗しスーチー氏ら議員10人で構成する国会代表者委員会(CRPP)を発足。独自の新憲法草案を作成しSPDCが出す各種法令に正当性がないことを指摘。2003年までNLDは民主化を要求し続けるがSPDCはこれを無視し続けた。 
1999年3月27日夫マイケル・アリスが前立腺癌で死亡。ビルマ入国を求めていたマイケルは1995年以降、再三の入国要請を軍当局が承認することは無かった。
2000年3月the Freedom of the City賞を受賞。息子のキム・アリスがアイルランドへ行き代わりに賞を受け取った。
2000年8月24日ダラーのNLD青年部への訪問を阻止される。抗議をするも強制連行され、9月2日まで軟禁状態に置かれる。
2000年9月2日NLD党本部軍当局による家宅捜索を受け大量の文書などが押収され党員数名が逮捕される。家宅捜査は「党員の一部がテロ行為に関わっている」とNLDを弾圧するときに何時も使っている理由だった。
2000年9月15日スーチー氏は、外部移動を妨害し、監視下に置こうとするSPDCに対し「私は法的に何ら制限を受けていない。それを明確にする」と、数日内にヤンゴン外へ出ることを公言した。
2000年9月21日マンダレー行きを再度拘束される。SPDC軍はこれで4度ヤンゴン外への移動を制止。NLD党員92名が拘留される。以降、米英仏やノルウェー、EU各政府はSPDCに対しNLDの政治活動の権利と対話を行うよう求める。
2000年9月24日スーチー氏は再度自宅軟禁となる。彼女を含む党指導部が一時的な自宅軟禁下におかれる。
2000年10月ラザリ・イスマイル国連事務総長特使(ビルマ問題担当者)らが仲介しスーチー氏と軍当局との間で国民和解対話に向けた前段交渉が始まる。
2000年12月7日米国のクリントン大統領が市民名誉賞をビルマのスーチー氏へ授与。息子のアレクサンダーが代理で受け取る。
2001年1月4日ラザリ・イスマイル氏が、軍当局とスーチー書記長それぞれと会い対話を行った。(~9日)
2001年1月24日NLD20名の活動家が釈放。スーチー氏の自宅軟禁状態は続き面会は制限。EUの使節団が2001年1月28日から30日までビルマを訪問する予定にあった。
2001年1月30日EUの代表団が自宅でスーチー氏と会談。SPDCNLDとの膠着状態に解決の糸口を見つける事が目的であった。
2001年2月27日米国の政府関係者がスーチー氏及び、SPDCと会談。
2001年8月28日ラザリ・イスマイル氏が5度目の訪問。SPDCとスーチー氏との歴史的対話の促進の為の会談を行った。
2001年9月9日ノルウェーで、ノーベル平和賞の100周年を記念しアルフレッド・ノーベルと7人の平和賞受賞者の肖像を描いた新しい切手のシリーズを製作。そのうちの一人に選ばれた。
2001年11月29日ラザリ・イスマイル氏が6度目の訪問。NLDSPDCとの間の和解の為の会談をスーチー氏と行った。
2002年1月30日SPDC高官と非公開会談を行った。
2002年5月1日SPDC指導部と非公開会談を行った。
2002年5月6日9ヶ月の自宅軟禁は解除となる。SPDCの報道官ラミン大佐は、「今日という日はビルマの人々と国際社会にとっての新しい1ページ」となるだろうと述べた。
2002年-スーチー氏はNLDの党組織再建のため各地の遊説をはじめる。
2002年5月14日スーチー氏と久米宏が電話対談を行い、その音声がテレビ朝日系列の「ニュースステーション」で放送された。
2003年2月6日アメリカに本部がある自由フォーラム基金「自由精神賞]がスーチー氏に贈られた。全額が個人に送られるのは前例がなく正式には3月20日に授与された。スーチー氏は帰国できると確信できるまで国外には出ないとしていたため、息子のアレクサンダーが代理を務めた。(金額は100万ドル)
2003年5月30日スーチー氏らNLDがビルマ北部を遊説中に軍政側を支援している団体USDAの襲撃に遭い、活動家や支援者ら70人以上が殺害され、スーチー氏も竹の棒で殴られ負傷する。(ディペーイン事件)彼女は軍施設に連行。SPDC軍は、多くのNLD党員を逮捕・拘束。スーチー氏の他・副議長らNLD執行部を投獄または自宅軟禁とした。
2003年8月SPDCは穏健派のキン・ニュンの主導によって民主化に向けた「ロードマップ」を発表。憲法制定のための国民会議が開催するなど民主化に向けた動きを見せるようになった。
2003年-三度目の軟禁状態に置かれる、外部からの訪問はほぼ完全にシャットアウトされてしまう。
2003年9月子宮疾患の為、手術入院をする。退院後自宅に移されるが自宅軟禁は続く。
2004年10月キン・ニュンが首相解任。SPDCからは「健康上の理由」による引退と発表。しかし穏健派であり民主化に積極的な人物だった為、強硬派との政争の結果失脚したとみられている。この頃のSPDCは、以前から両者の仲介を行っていた国連大使を通じスーチー氏との交渉を準備していたといわれていたが穏健派が一掃されたようなかたちになった。
2004年-強硬派ソー・ウインが新たに首相に就任。軍は引き続き先のロードマップを推進する声明を出すが、強硬派が台頭していることから予断を許さない状況が続く。
2004年11月27日SPDCが、スーチー氏の自宅軟禁を1年間延長すると発表。
2005年11月27日SPDCが、自宅軟禁を6ヶ月間延長すると発表。
2006年5月19日ガンバリ国連事務次長と1時間の面会が実現。
2006年5月26日SPDCが、自宅軟禁1年間の延長を通告。
2007年5月25日SPDCが、自宅軟禁1年間の延長を通告。
2007年9月23日仏教僧侶らの反政府デモが広がるのに伴い、軟禁先を自宅からインセイン刑務所に移されたとの情報があった。
2007年9月30日イブラヒム・ガンバリ国連事務総長特別顧問と会談。
2007年10月24日ソー・ウィン首相が病気により死去。ティン・セインが首相となる。
2008年4月アメリカにて議会名誉黄金勲章授与。
2008年5月10日SPDCが新憲法草案で「配偶者及び子が外国人又は外国市民権を有する国民には選挙権を認めない」との条項があり前夫が外国人のスーチー氏の被選挙権を剥奪していた。しかし諸外国の抗議により政府はこれを撤回。同月23日アウンサンスーチー氏は事前投票したと伝えられた。
2009年5月アメリカ人がスーチー宅に侵入。それが軟禁条件違反に当たるとし「国家転覆防御法」違反の罪で起訴される。
2009年5月18日インセイン刑務所で裁判が始まる。規定で有罪なら禁固3-5年が科せられ、自宅軟禁の最長が6年であり同月末で軟禁が解かれる予定だった。何かにつけて軟禁を長引かせようとするSPDCに対し、同日NLDが適正な裁判を求める抗議行動を行う。また、前日17日には、ニコール・キッドマン、ロバート・デニーロ、ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、デビッド・ベッカム、マドンナら著名人44人が、アウンサンスーチー氏の解放を求める共同声明を発表している。
2009年5月26日SPDCは軟禁期限は同年11月との声明を出し、スーチー氏と弁護士にも軟禁解除を伝えた。その上で8月11日、国家転覆の罪で禁固3年の実刑を言い渡し、直後に執行猶予と1年6か月分の特赦を付けて再度の軟禁状態に置いた。侵入者のアメリカ人は禁固7年の実刑判決を受けた。
2010年11月3月期限満了となり軟禁解除。
2011年3月タン・シュエ将軍は、大統領の地位をテイン・セイン首相に、また国軍最高司令官の地位をミン・アウン・フラインに譲った。これまでと同様、政治に影響力を行使すると予測されたが退任後はほぼ口出ししていないといわれている。
2011年3月新政権が発足。軍事政権発足以来ミャンマーの最高決定機関であったSPDCは解散。軍政に終止符が打たれたが新政府は軍関係者が多数を占めており軍政支配が継続されるのではないかと懸念された。
2011年6月28日スーチー氏は新政府から政治活動停止を通告される。
2011年8月12日スーチー氏は政府側と会談し両者は国家の発展の為、協力していく事で合意。地方都市での政治活動を再開。
2011年-2011年映画 「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」が公開。
2011年10月12日政治犯を含む受刑者6359人が恩赦によって釈放された。
2011年11月25日NLDは長年認められなかった政党(野党)としての再登録が承認された。
2012年1月10日NLD中央執行委員会議長に選出
2012年1月13日フランス大統領が、レジオンドヌール勲章コマンドゥール(3等)の授与を電話で伝える。
2012年1月25日パキスタン大統領より、ベナジル・ブット賞を授与される。
2012年2月日本政府はヤンゴン郊外のティラワ港経済特別区のインフラ整備を請け負った。ミャンマー側もかねてから日本に開発をゆだねたいという意思をテイン・セイン大統領が示していた。
2012年2月国際連合教育科学文化機関が、2002年に授与が決定していたマダンジート・シン賞を授与する。
2012年4月1日議会補欠選挙にNLDより立候補当選を果たす。5月正式に議員に就任。
2012年6月16日ノルウェー・オスロにて、1991年に受賞したノーベル平和賞受賞演説を行う。
2012年9月米国のホワイトハウスを訪問。バラク・オバマ大統領との会談を行う。
2012年11月1日バラク・オバマ大統領が、現職の大統領としてはじめてミャンマーを訪問。欧米からの制裁もほぼ解除される。
2013年4月13日外務省の招聘を受け来日。日本政府要人(安倍首相や皇太子さまなど)との会談を行う。(~19日)
2013年5月25日安倍首相がミャンマーを訪問し、スーチー氏と対談。ミャンマー民主化への支援を表明する。

       ・表現や日付などの正確さに欠ける可能性があります。修正・加筆をしていきますが転載はご遠慮下さい。

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女性ノーベル平和賞受賞者、母の象徴マザーテレサの物語→マザー・テレサ



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アウン・サン・スー・チー女史 ノーベル平和賞受賞演説「大好きな世界人権宣言の前文から力をもらった」
Everyone says I love you !ビルマ(ミャンマー)の民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏が2012年6月16日、ノルウェーで、1991年に受賞したノーベル平和賞の受賞演説を行いました。受賞から21年目のことです。アウン・サン・スー・チー氏は、「ノーベル賞が自身の解放だけでなく、民主化運動に対する世界の関心を集めてくれた」と感謝の言葉を述べました。また、「ミャンマーにはまだ良心の囚人が大勢いることを覚えていてください」とも。

『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』ミシェル・ヨー「愛だけで作った映画」ミシェルはスー・チー氏の愛読書や彼女の著書も読破。200時間にも及ぶスー・チー氏の映像を入手し、容姿だけでなくスー・チー氏の話す英語とビルマ語もマスターするなどして役に挑んだそうだが、役作りについては「この映画は愛だけで作った映画です。実際にビルマで置かれている苦境を考えれば苦労は何でもありません。役作りで一番苦労したのは10キロ痩せたことです」と語った。

2013-04-26(Fri)

最強のふたり/演出と音楽で癒される映画

2011年 フランス
Intouchables_20130426013149.jpg貧困層の黒人と、体の不自由な富豪との交流を描いた、実話に基いて製作された、住む世界が全く違う二人のヒューマンドラマ。ドラマチックな出来事があるわけでもないけれど結構好みと思っていたら、世界各国で 大ヒットしており、フランスでも国民3人に1人が観たという動員記録を達成していた作品でした。背景に流れるピアノ音楽と、フィリップ役のフランソワ・クリュゼの表情もいいです。特に最後のシーンが。


主人公フィリップはパリの貴族家系の生まれ、裕福で完璧な人生を送っていたが、不運な事故で動けなくなり、さらに数年後、妻を病気で亡くし生きる希望を失っていた。そんなある日、彼の邸宅で住み込みの介護人を募集し面接を行っていたところ、失業保険を受給するのに必要な「不採用のサイン」だけを貰いに来ていたもう一人の主人公、黒人青年ドリスと巡り会う。フィリップは彼を介護人として採用、それはお互いの人生を変える運命の出会いとなった。

大富豪とスラム街育ちという対照的な人生を送ってきた彼らは、互いにかけがえのない存在となっていく。フィリップにとってドリスは自分のことを病人や雇用主としてではなく、一人の人間として対等に向かい合ってくれる、唯一の人物であった。 ドリスは介護の経験や資格などなく、仕事も粗野で雑。 フィリップの麻痺した足に面白がってお湯をかけてみたり、彼をベッドから 車椅子に移すも固定せず、全身動かない彼は前に倒れそうになったり、 雪の日にフィリップを連れ出しドリスが一方的に彼に向かって雪玉を投げるだけの雪合戦をしたり、身体障害者であるからといって特別扱いもしなければ、容赦もしない。


  
  障害者ネタのギャグに、
  皮肉交じりのジョーク。
  あらら、マリファナ吸わせたり
  無免許で車の助手席にフィリップを乗せ
  180キロも飛ばし警察に違反だと止めら
  れると、二人は連携プレーで警察を
  まんまと騙したり。

  でもね、
  おかしく面白いだけではないんですね。
  どんなことも楽しくしちゃうドリスの魔法。
  フィリップの苦痛さえも。

  インテリ人生のあと身体障害者になった
  フィリップにとってドリスと過ごす時間は
  とても大切なものとなっていきます。



ある日、ドリスの弟が来て彼の家が問題を抱えている事を知ったフィリップは、彼に家に戻るように促しドリスは退職し屋敷を去ります。
しかし離れてみるとフィリップは沈み込み・・。やがて使用人がドリスのところに来て助けを求めるのです。

45587_20130426004517.jpg
髭で遊ばれるフィリップ。「これは笑えんぞ!」と、ヒットラーにはサスガに不機嫌になるかと思いきや?

再び戻ったドリスはフィリップに粋なプレゼントをします。

[あとがき]
育ちや、生活ぶりや、環境も、まったく接点のない関係からうまれた二人の友情。ドリスは、雇われ人という立場にも関わらず、他の人たちと異なり、大富豪の主人という枠を取っ払って、まるで家族と同じような態度で接します。身体は不自由だけど、それ以外はほとんどのものが手に入るフィリップ。彼が何故、どれほど孤独だったのか、きっと本当に同じ境遇の人でないとわからないのでしょう。そんなときに現れたドリスは、フィリップさえ気づかずのうちに、なくてはならない存在になります。愉快に過ごす日々の中にあっても、時に、フィリップはわが身を悲観する言葉を口にします。でも、それに対する、ドリスの切り返しが、なんともユニーク。前向きに転換してしまうので、とてもホットな気持ちになります。ちなみに映画のなかのドリスは黒人でしたが、エンディングでは実際の二人の映像が映し出されます。このとき、実はドリスが白人だったことが判明します。とても不思議に思い調べたら、残念にも、あえて「黒人を抜擢した理由がない」・・そうで、これだけはマイナスかもしれません。真実に近い形でキャスティングするか、または、その目的やメッセージ性が明確なものだったらいいのに思いました。それでも、作品の作り方が良く、観ていて心が癒される映画です。但し、世評の高評価にも関わらず、個人的に、「感動」とまではいかない私は、ひょっとしたら、「幸せ呆けしているのしれない?」と思ってしまったのでした。

最強のふたりコレクターズ・エディション(2枚組)(初回限定仕様) [DVD]
[監督]
エリック・トレダノ
[出演]
フィリップ              フランソワ・クリュゼ
ドリス                オマール・シー
イヴォンヌ(フィリップの助手)  アンヌ・ル・ニ、
マガリー(フィリップの秘書)   オドレイ・フルーロ
マルセル(フィリップの使用人) クロティルド・モレ
エリザ(フィリップの娘)      アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ

★受賞★
第24回東京国際映画祭 東京サクラグランプリ/最優秀男優賞(フランソワ・クリュゼ)(オマール・シー)
第37回セザール賞 主演男優賞(オマール・シー)
第17回リュミエール賞:主演男優賞(オマール・シー)
グローブ・ドゥ・クリスタル賞:主演男優賞(オマール・シー)/最優秀映画賞




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モデルとなった実在の"最強のふたり" ご本人たちのインタビュー映像

2013-01-20(Sun)

ザ・ハリケーン/ハリケーンを聴いてた頃 彼は刑務所の中だった

1999年 アメリカ
111_20130120025417.jpg数年前まで俳優に詳しくなかった私の勝手な思い込みで悪役だけ上手いと思っていたデンゼルワシントン。シネフィルイマジカでたまたま「ながら見」していたらとてもいい映画でした。彼の見方が180度変化した作品。実話でほぼ忠実に再現されている。驚いたのは懐かしいボブ・ディランの曲が選曲されていたこと。 昔好きだったこの曲は、冤罪で長年刑務所に入っていた、この映画の主人公・ルービンの事を歌ったものだった。数十年もたってからディランの「ハリケーン」が実話を歌ったものだと知る。

子供の頃、初めて買ったLPがディランの「欲望」だった。この中に「ハリケーン」は収録されている。今思えば子供のくせにマニアックでした。友達は誰も彼を知らず、みんな当時の男性アイドルに夢中な頃、私はこっそり彼の曲を楽しんだものです。日本語訳の歌詞も見て気にはなったものの調べる術を知りませんでした。ディランの曲は物語を語るようになっているのも多く、彼のイメージで作った曲だろうと思っていたのです。湧き上がるような、挑戦的なこの曲は、聴いているとなんだか元気になるような気がしました。映画の中では、凄くいいタイミングでこの曲を入れています。全体的にも、よく仕上がっているし、当時のディランの思いも伝わってくるようです。

ルービンがが無罪を勝ち取ることができたのは、刑務所の中で、たった一つの望みをかけて執筆した自伝『第16ラウンド』を、7年後に僅か25セントの古本として入手し読んだ少年、レズラ・マーティンが深く感銘を受けた事がきっかけとなりました。彼は、たった10代の黒人少年でした。

この問題は差別に関わる違法な逮捕で長い間、正しい裁きを下せなかった社会に対しての小さな革命のようです。極端な表現をするならば、何世紀も昔に行われていた魔女狩りや生贄の儀などと全く変わらない未熟な思想の延長。けれど黒人差別が当たり前と子供の頃から教育されれば、それが間違いと認識することは困難でしょう。そんな中から時代の先導者が何人も現れては平等の意味を考え、法律と時の常識を徐々に変えてきました。現在に至っても完全に撲滅されたとは言えませんが世代が変われば教育も変わり、今では黒人だからと差別するという事はほとんど聞かなくなりました。ルービンも自由になるまで30年もかかりましたが、強い正義の心を持った一人の少年に出会った事と、決して諦めなかった事で裁判に勝訴したのです。物事に対する認識は時代と共に良い方向に「進化」してきました。諦めずに戦ったルービンには、長い歳月の間に変化した世情も味方したのです。ラストは、心が開放されるような心地よいシーンが待っています。この時のデンゼルの表情もとても良いです。


[ハリケーン :ボブ・ディラン・日本語歌詞]
この作品はルービン・カーター事件を元にしたもので、当初から冤罪の可能性が高いことが指摘されていたにも関わらず、その背後には
根強い人種的偏見があり、ボブ・ディランは本人とも面会した上で、この事件の真相を自分なりに解釈しこの曲を作ったそうです。
事件の中身はこの歌の中に。


  銃声が夜の酒場に響いた
  パティ・ヴァレンタインが駆けつけた
  バーテンが血の海の中で転がってた
  パティは叫ぶ "マイ・ゴッド 人殺し"
  こうしてハリケーンの物語が始まった
  当局から冤罪を着せられた男
  自分ではやってないのに
  監獄にぶち込まれた男
  かつての世界チャンピオン

  床には三人が転がってた
  ベローという男が現場をうろついてた
  "俺じゃねえ"といって手を振った
  "盗みをやってただけだ 信じてくれよ
  犯人を目撃したよ" そういうと
  "おまわりを呼んだほうがいい"
  パティはおまわりを呼んだ
  おまわりは赤いライトを照らしながらやってきた
  ニュージャージーの暑い夜に

  その頃 町の別のところでは
  ルビン・カーターが友達とドライブをしてた
  ミドル級のナンバーワンボクサーだ
  いったい何がおきてるのかわからないまま
  おまわりに職務尋問をされた
  その頃までのパターソンの町では
  よくある光景だったんだ
  黒人なら不用意に外出などしないことだ
  面倒がいやならな

  アルフレッド・ベローは仲間と一緒におまわりに言った
  おれとアーサー・デクスター・ブラッドレーがうろついてたら
  "二人の男が逃げ去った どちらも中肉だ
  他州ナンバーの白い車に乗り込んで逃げた"
  パティ・ヴァレンタインも頷いて見せた
  おまわりがいった"こいつはまだ生きてるぞ"                       
  おまわりは男を病院に運ぶ                          ボブ・ディラン「ハリケーン」
  男には目など見えなかったが                                   
  犯人を目撃しただろうといった        
333669.jpg
  夜明けの四時 ルービンは拘束され
  病院に連れてこられて 階段を上がった
  傷ついた男はルービンを見上げていった
  "誰を連れてきたんだい こいつは犯人じゃないよ"
  こうしてハリケーンの物語が始まった
  当局から冤罪を着せられた男
  自分ではやってないのに
  監獄にぶち込まれた男
  かつての世界チャンピオン

  四ヶ月後 ゲットーは火の海
  ルービンは南部で自分のために戦う
  アーサー・デクスター・ブラッドレーは相変わらず泥棒稼業
  おまわりはアーサーを駆り立て 犯人をでっち上げる
  "現場のことはよく覚えてるだろう?"
  "逃げ去った車をよく覚えてるだろう?"
  "逃げたやつはあのボクサーだったんだろう"              1994年・世界ミドル級チャンピオンベルトを授与
  "お前は白人なんだぞ"                                               
  アーサーは答える "よく覚えてない"
 
  おまわりはいう "よく考えてみるんだな
  仕事も世話してやったんだし お前はベローとは違う
  監獄に舞い戻りたくなかったら 
  いい子にしろよ、世の中のためになれよ
  あのゲス野郎は英雄気取りで
  おれたちには癪に障るんだ
  あいつに罪を着せればいいんだ
  あいつはただのゲスだからな"

  ルービンは一発で相手を倒した
  でもそんなことを自慢したことはなかった
  それが仕事さといった 飯の種さ
  仕事が終われば自由気ままな
  時間を楽しむのさ
  魚が泳ぐせせらぎやきれいな空気
  そんなものが好きなのさ
  そんなルービンを監獄にぶち込んだ
  人間をねずみに変える場所                          ルービン・ハリケーン・カーター(本人)袴田巌さん冤罪救済活動
                                             
  ルービンの告発状はでたらめだらけ  
  裁判は茶番劇 チャンスはない
  判事はルービンのいうことに耳を傾けず
  白人たちはルービンをならず者あつかい
  黒人たちはルービンを気違いあつかい             
  ルービンが犯人だと信じて疑わない
  結局たいした証拠もないままに
  検事はルービンが犯人だと主張し
  陪審たちも同調した

  ルービン・カーターは冤罪によって              
  一級殺人罪を宣告された
  ベローとブラッドレーはうそをつきとおし
  新聞は判決をうのみにする
  ひとりの男の人生が
  愚者たちによって裁かれ  
  冤罪を着せられる
                                            So Amazing (Boyz ⅡMen)/カヴァー曲
  ぼくは自問する                                     
  いったいこの国はどうなっているんだろう
  法治国家じゃないのか

  犯罪者にも人権が認められ
  監獄内でも少しは自由でいられるが
  ルービンは狭い独房に釈迦のように座る
  この世の地獄を生きる無垢の男
  これがハリケーンの物語
  無実が明らかになり 自由になるまでは
  決して浮かばれない男の物語
  監獄にぶち込まれた男                     
  かつての世界チャンピオン                   
  
                                    

                                        無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会ホームページ
                                         ・署名にご協力を。
                                    
                                         袴田巌さんは、2014年3月27日 - 静岡地裁、再審開始、死刑及び拘置
                                         の執行停止決定。同日午後に東京拘置所から釈放されました。


                                        →その後
                                        静岡地方検察庁が東京高裁に即時抗告してしまったため、
                                        再審開始が先延ばしにされている状態。引き続き署名を!(2014/8/20迄)
                                        第 2 次再審請求の再審開始決定に対する即時抗告の棄却を求める要請書

            

[登場人物たちのその後]
ルービンは裁判後の1994年、世界ボクシング評議会より世界ミドル級チャンピオンベルトを授与される。
後にカナダのトロントに自宅を構え、冤罪救済活動団体の責任者となった。
アーティスも釈放となり少年犯罪の相談者となった。レズラはトロント大学を卒業後、修士号を得て弁護士になった。

2014年4月21日朝日新聞 ルービン・カーターさん死去 冤罪事件被告の元ボクサー(記事/一部抜粋)冤罪(えんざい)事件として注目を集め、ボブ・ディランが75年に「ハリケーン」という曲を発表したほか、99年には半生が「ザ・ハリケーン」として映画化された。
釈放後は冤罪事件の解決に取り組み、同じ元ボクサーで、やはり66年6月に起きた殺人事件で死刑判決を受けた袴田巌さんに支援メッセージを送るなどしてきた。(ボストン=中井大助)

ザ・ハリケーン [DVD]

監督 ノーマン・ジュイソン
[出演]
ルービン・ハリケーン・カーター デンゼル・ワシントン
レズラ・マーティンレズラ・マーティン
リサ・ピータースデボラ・カーラ・アンガー
サム・チャイトンリーヴ・シュレイバー
テリー・スウィントンジョン・ハナー
メイ・テルマ・カーターデビ・モーガン
ジミー・ウィリアムスクランシー・ブラウン
デンゼル・ワシントン/ヴィセラス・レオン・シャノン/デボラ・カーラ・アンガー/リーヴ・シュレイバー/ジョン・ハナー/デビ・モーガン/クランシー・ブラウン        

★受賞★:
ゴールデングローブ賞:主演男優賞 ・ドラマ部門(デンゼル・ワシントン)
ベルリン国際映画祭:銀熊賞 (男優賞)(デンゼル・ワシントン)
※ノミネート※
アカデミー賞:主演男優賞
ゴールデングローブ賞:作品賞(ドラマ部門)/監督賞
ベルリン国際映画祭:金熊賞



◆内部関連記事◆

袴田さんの涙の48年/再審、そして釈放


★外部関連記事★

出演 : デンゼル・ワシントン、ヴィセラス・レオン・シャノン、デボラ=カーラ・アンガー他 視聴回数 : 1回目 冤罪ものなので、途中でだれるかなと思ったんだが 最後まで楽しめました。 役作りのためか、デンゼル・ワシントンの顔が超細くなっとった。まるで別人。 レニー・セルヴィガーとかシャーリーズ・セロンもですが、俳優すげーなー 私もそろそろ大リーグボール養成ギブスを外して本気出す...
『ザ・ハリケーン』(1999)

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