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2012-12-21(Fri)

チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道/中国孤児を救ったイギリス人の物語

2008年 オーストラリア・中国・ドイツ

51CaG2I6zlL_20121221231358.jpgこれは実話を元にした作品です。時代は、日中戦争の最中、イギリス人の「ジョージ・ホッグ」というジャーナリストがふとした切欠で、親を亡くした子供達がいる施設へ行く事になり、この子達の教師となります。そして、そこでの生活を安定させるのですが、中国軍は子供達を徴兵しようとしたため、彼は軍の手が届かないところまで子供達と移動することを決めます。そして黄石~山丹までの700マイルを、徒歩で移動して新天地にたどり着き、戦渦から子供達を守ったのです。「中国版・シンドラーのリスト」と言われている人物。人命を救った実在の人物を映画化したものとしては、他に「アフリカ版・シンドラーのリスト」といわれている「ホテル・ルワンダ」のホテルマンや、1200人ものユダヤ人を救った、「デファイアンス」なども思い起こしますが、こういった作品はいくつ観てもいいです。実話ならなおさらですね。この作品では、子供達は雪山から砂漠まで横断しているのですが、移動による厳さの描写はあまりされていません。だけど苦労の連続だったのだと思います。最後のシーンで子供達が登場し、それがどれ程のものだったのかが理解できます。だから耳を傾けて聴いてくださいね。ジョージ・ホッグは大学を出てから僅か7年、30歳という若さで亡くなりますが、その愛に満ちた短い間の記録は、彼が残した学校と書籍、ホァンシーの子供達、そして墓石に刻まれています。ホッグは今でも多くの人に大切な事を伝え続けているのです。
[あらすじ]
1937年の日中戦争勃発時期、上海滞在の「ジョージ・ホッグ」は、取材のため、赤十字の人間と身分を偽って南京に潜入。中国の市民を殺害する日本軍の姿をカメラに撮影するも、(南京事件)日本兵に見つかり、処刑寸前のところを 中国共産党の軍人に助けられます。助けられたホッグは、その軍人の友人である看護婦の提案で、黄石 (ファンシー)に行くことになるのです。


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震えながらシャッターをきるが・・・       捕まり処刑される寸前で・・               共産党員ジャックたちに助けられる。

 
  ジャックは看護師のリーに相談する。
   

  「中国語を喋れないオックスフォード大学出の
                 この男をどうしたらいい?」
  
  
  中国人と共に前線で戦うつもりだったホッグ。ジャックは、
  そのために「まずは黄石へ」と。そこに、何があるのか
  ホッグは、わからなかったが、まずは中国語を学び
  ジャックと一緒に戦うためと、その地へ向かう。
  そして、そこで 見たものは・・・60人の孤児たち。 

  荒れ果てた施設で食べ物も無く荒んだ生活と
  彼らの心の傷を目の当たりにします。

  意図していないことではあったものの、彼は
  言葉の通じない子供達との距離を少しずつ縮めていくのです。 


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看護婦のリーが食料を持ってやってきます。  シラミ退治で寝具の焼却。          次は子供達の番というリーに・・毒舌セリフ似合いすぎ

リーは子供達を彼に任せて去ってしまう。自分の思惑とは異なる役目を押し付けられ一度は出て行こうとしました。でも、彼は足を止めるのです。

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王(ワン)さん。作物の種を提供しました。   子供たちは自給自足の生活ができるようになります。 母親を亡くした幼い兄弟を引き取ります。

施設での生活も落ち着いてきた矢先、軍は子供達を徴兵しようとします。ホッグはこれに抵抗し投獄されます。 直ぐに王さんが来て彼は釈放されますが・・。ホッグは軍が子供達を追ってこない場所へ連れて行く事を決心するのです。そこは1000キロも先の地でした。

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王さんは「あなたに見合うだけの額を」と。          子供達に新天地へ行く事を告げる。

それは、周りの人から言わせれば途方も無い事でした。出発のその日、王さんは彼らを見届けると、ホッグを釈放した対価を支払います。
それは彼女自身の身である事をホッグは知りません。彼女の店にはもう何も無いのです。そしてもうひとつ、悲しい出来事が起きます。

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山丹まで、700マイル(およそ1100キロ)。 極寒の雪山・広大な砂漠、そのほとんどを徒歩で。
それはのちに“小さな長征 ”と呼ばれることになります。

チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道 [DVD]
【出演】
ジョージ・ホッグ   ジョナサン・リースマイヤーズ
リー・ピアソン     ラダ・ミッチェル 
ジャック(陳漢生)  チョウ・ユンファ 
マダム王(ワン)   ミシェル・ヨー


[実際のジョージ・ホッグ]
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 ・1915年、ジョージ·ホッグは英国のハーペンデンで中流家庭に生まれる。 
 ・末っ子であり、非常に幸せな子供時代を送る。
 ・1937年 オックスフォードを卒業。
 ・1938年 UPI通信フリーランスの記者として世界を回る為に英国を出る。
 ・インド 日本を回った後、中国社会を研究する為中国に滞在することを決めた。
 ・20代で4人の兄弟の養父となった。
 ・中国の民衆の生活、抗日戦争の様子を撮影した写真を外国に郵送して
  国外から大量の薬品と寄付金を募り、中国を支援。抗日戦争に協力している。

 ・山丹で学校を設立して数年後、破傷風で独身のまま亡くなります。
  このとき二人の少年がバイクで500マイルを往復し蘭州に薬を入手しに行きました。
  しかし、間に合わず、子どもたちの歌声で穏やかな臨終を遂げます。30歳永眠。

  死の間際、彼は一行の文字を書きます。「私の全てを培黎学校に捧げる」
  1945年7月22日埋葬。そして、彼の死からわずか23日後に日本が降伏。

 

Img256379857.jpg    U1584P28T3D1970113F326DT20080401142706_20121222042452.jpg
現在の山丹には「ホッグ シャンタンベイリースクール」が。          ホッグとRewi(路易・艾黎)の墓

※映画の看護婦の女性「リー」は架空の人物でロマンスは脚色です。「Rewi/路易・艾黎」という男性が一緒に学校を運営したようです。
 作品中の「リー」は、彼がモデルになっているのかもしれません。(中国語が判らないのであくまでも私の想像ですが)

 [書籍]
 ジョージ·ホッグ[北京パブリッシングハウス1984年]
 ↓[オックスフォードからシャンタンに・ジョージ·ホッグの話]
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                          ホァンシーの子供たち・フォッグが養子にした4人の兄弟は
                          現在、シャンタンベイリースクール(培黎学校)の校長です。
                            



                 1195f32c6f0 (1)

         彼は命を救われたときから、この中国の地に骨をうずめる覚悟でいたのかもしれません。




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★内部関連記事★

・大虐殺の中、1200人を匿ったホテル支配人→ホテル・ルワンダ
・同じ時期に中国にいたイギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的作品→太陽の帝国


◆外部関連記事◆

●これは真実のストーリー。(T_T) 命を懸けて子供たちを救った青年ジョージ・ホッグの、知られざる実話である。1930年代の終わり、拡大する日中戦争の戦火が南京から黄石に迫りつつあることを知り、中国人孤児60名を連れてシルクロードを横断する逃避行をしたイギリス人ジャーナリストがいた。日本軍の銃弾を避けながら荒涼とした大地を渡り、極寒の雪山を越え、広大な砂漠で砂嵐に見舞われ、遂には山丹の寺院へと辿り着く。700マイ...
チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道




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2012-11-29(Thu)

チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠>/テューダー朝二代目イングランド王

チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠> この作品はイングランド史上もっとも悪名高い王の物語です。ヘンリー8世役は、
ジョナサンリースマイヤーズ。いい人役ジョナサンでファンになった私ですが、この役柄のジョナサン、ハマります。この役は彼にとっても俳優として飛躍できた作品だと思います。2007年~2010年にイギリスで放送されたドラマで日本でDVDが発売されたのは2011年12月。

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「ヘンリー8世を題材にしたテレビドラマなら面白いに決まってる」というのが見る前の予想。歴史上まれに見る暴君&見境なしの
王様です。ストーリの内容は、細かなところは史実と異なるところもありますが、大まかにはほぼ再現されているといって良いでしょう。

舞台は1509年 - 1547年までのイングランド。
ヘンリー8世は父・ヘンリー7世と母・エリザベス・オブ・ヨークの次男。彼は反逆者や犯罪者だけでなく忠実な側近・重要な重臣さえも次々に処刑していきます。そしてその財産、建物を没収していきます。この背景の裏には、ヘンリーを取り囲む貴族、家臣などや様々な人間の妬み・策略によりヘンリーに処刑されるに至るケースがあります。そしてヘンリーは後に処刑してしまった重臣を失ったことを後悔するのです。

また、彼はイングランド国教会による教会や修道院の土地・財産を没収し安く分与し、王室の財源を潤しました。これに対し対抗する反乱軍や反抗する者を皆殺しにして見せしめとしました。首謀者は処刑、反乱軍側の修道院の僧侶は協会の塔に吊るされ、反乱に参加した中流貴族はロンドン塔で斬首。そしてその蛮行を止める者はいなくなります。ヘンリーが全国の教会/修道院を破壊して得た財産は、現在の価値にして総額2858万ポンド以上にも上ったという。無茶苦茶な財源確保です。

彼は生涯で6度の結婚をし、6人の王妃のうち2人は結婚を無効とし2人は処刑してしまいます。現在のイギリスの基礎を作った王で統治的才能があったようですが、非常な残忍さを持つ人物でした。妻をとっかえひっかえしたのは飽きっぽい事も原因のひとつですが、男児が生まれなかった事で暴走を始めました。やっと男児が生まれても認知しなかったり、謎の死を迎えたり、幼少のうちに亡くなったりと、たった一人、無事に成長していた3番目の妻の嫡出男子、エドワードさえも16歳で亡くなります。

エドワードの死後、皮肉なことに彼の2人の娘が歴史に有名に残る人物となりました。

1番目の妻  キャサリン・オブ・アラゴンの娘「血のブラッディ・メアリー」ことメアリー1世
2番目の妻  アン ・ プーリン      の娘「処  女  王」   こと エリザベス1世 です。

後者、エリザベス1世については、母・アン・プリーン処刑後、父親に王位継承権を剥奪され庶子となります。(その後メアリーも父親に王位継承権を剥奪され庶子となります。)後にヘンリーの最後の妻キャサリン・パーがヘンリー8世を説得し、剥奪されていた2人の王位継承権を復活させ王女として教育。そして、ヘンリー没後にエドワードが死去。姉のメアリー1世も統治たった3年で病気により死去します。

そうしてエリザベス1世が即位、45年近くもイングランドを大繁栄に導いた女王となります。これは最後の妻キャサリン・パーの功績といっても過言ではありません。一方、実の娘でもあるにも関わらず、彼女達の王位継承権を剥奪したヘンリー8世は、もしもあの世から、黄金時代と呼ばれるほどの、後の国の繁栄を見ることができていたなら、どのように感じたでしょうか。エリザベスは生涯独身をつらぬき後継者を残さなかったため、チューダー朝は幕を閉じました。歴史的には有名な王朝として人々の記憶に残りましたが、チューダー朝は孫世代までしか続かなかったのです。

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                   若きエリザベス1世      テューダーの薔薇の紋様と毛皮で飾った即位衣を纏うエリザベス1世 



※ロンドン塔にあった子供の遺骨&幽閉され不明となった二人の子供の王位継承者
チューダー朝はヘンリーの父・ヘンリー7世からですが、なぜこれほどに王子に恵まれなかったのでしょう。ヘンリー7世統治の時代を少し遡る1483年、王位継承したものの剥奪され、ロンドン塔に幽閉されたエドワード5世(13歳)と弟リチャードのお話は有名ですが、消息は現在も判っていません。かつては2人がリチャード3世によって暗殺されたと伝えられてきましたが、現在の研究ではヘンリー7世が2人の運命に深く関わったとする説も有力です。また、リチャード3世、ヘンリー7世、いずれの王位簒奪者にとってもエドワード5世と弟リチャードは邪魔な存在であったことは確かなことです。1674年、ロンドン塔の改修の際に、子供の遺骨とみられる大小の頭蓋骨や骨片が入った木箱が発見され、鑑定されましたが性別・年齢も特定できませんでした。ちなみにリチャード3世は即位してたった2年程で戦死、そしてヘンリー7世即位、エリザベス・オブ・ヨークと結婚するのですが彼女は幽閉され不明となった二人の兄弟なのです。つまり不明になった二人の子はヘンリー8世の叔父にあたることになります。後に記述するジェーン・グレイはヘンリー8世の妹の孫でしたが、彼女をメアリー1世が処刑、そしてヘンリー8世の姉マーガレットの孫メアリー・ステュアートをエリザベス1世が処刑することになります。二人の女王は各々、統治的な事情でやむにやまれず処刑した経緯となっています。こうして、ヘンリー7世はチューダーズ朝だけでなく数少ない子孫を失います。ロンドン塔に幽閉されていた二人の子の失踪に関与していたかどうか明らかになってはいないけれど、なんだか因縁のようなものを感じませんか。

※ヘンリーには姉と妹がいますが、ドラマでは姉のマーガレットチューダーだけが登場します。ドラマでは彼女はスコットランド王をさっさと殺して国に帰ってきますが、実際は異なっていて何年か過ごし子供を授かり、孫が(メアリー・ステュアート)「スコットランド女王のメアリー1世」となります。


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※歴史上の6人の妻について(以下は実際に残っている記録より抜粋の為「ヘンリー8世 背徳の王冠」の内容と異なる箇所があります)

◎1番目の妻・キャサリン・オブ・アラゴン
女王として気品と威厳をかねそなえながら国民からも家来からも慕われる人柄の持ち主でした。彼女はスペイン王家からヘンリー8世の兄アーサーの元に嫁いできた王女でしたが、その数ヶ月後に花婿は急逝。持参金の返却を惜しんだヘンリー7世は王太子ヘンリーとの婚約を持ちかけ双方の合意で成立。しかし旧約聖書に「人もし兄弟の妻を娶れば汚らわしきことなり」の一節に抵触する恐れがあった為、時の教会法規により、特別に免除された結婚でした。また、ヘンリーにとってキャサリンは初恋の相手であり、二人は最初は仲睦まじかったのですが、キャサリンは度重なる流産と死産を繰り返しやっと出産したのは女児メアリ1世であったため、ヘンリーの愛情は冷えてしまいます。キャサリンの侍女であったアン・ブーリンがヘンリー8世の寵愛を受けるようになり、キャサリンは結婚の無効を突きつけられます。王妃の座を奪われ、娘メアリとの面会も文通も禁じられ監禁に近い生活となっても死ぬまで離婚を認めませんでした。そして生涯ヘンリーを愛し続けました。(この頃既にヘンリー40歳を超えておりました。)

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キャサリン・オブ・アラゴン    1536年キンボルトン城にて没する。死因は一説にはアンプーリンによる毒殺とも伝えられている。

※娘のメアリー1世について(ヘンリー8世と弟エドワード王子の死後)
弟のエドワード6世が亡くなった後、次の王位はメアリーのはずでしたが、ノーサンバランド公爵がヘンリー8世の妹の孫にあたるジェーン・グレイを無理矢理即位させ、息子の嫁にして王位を次がせようと画策。メアリーは正な王位継承権を主張し、ジェーン・グレイを擁立する一族と対立。国民もメアリーを支持しジェーンは九日間で王位を奪われ斬首処刑されることとなります。(九日間女王)王位を狙う大人の陰謀に巻き込まれた何も分からない17歳の少女でした。その後敬虔なカトリック信者だったメアリーはプロテスタントを弾圧、僧正・信者、女子供を含めて約300人を次々と処刑したことからブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれるようになります。

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    メアリー1世                  レディー・ジェーン・グレイの処刑              こちらはドラマのメアリー

◎2番目の妻・アン・ブーリン
ブーリン家は縁組により爵位や領地を増やしていった家系で、わずか4代前まで庶民でした。アンは王妃のキャサリンに仕える女官でした。当初ヘンリーはアンを愛人にするはずが、アンは強硬に妃の座を要求します。そこで王はキャサリンと別れ、アンを正式な王妃にしたいと考えましたが、カトリックは離婚を禁じており、ローマ法王は王の離婚を許しません。するとヘンリー8世はローマ カトリックと訣別し国王を長とするイギリス国教会を作り、アンと無理矢理に結婚してしまいます。やがてエリザベス1世が生まれますが、王子を望んでも、すぐには懐妊しません。そのうち王は、今度はアンとは対照的な女性ジェーン・シーモアと関係を持つようになります。ジェーン・シーモアはキャサリンとアンに仕えた女官でした。ヘンリーは、アンが男児を生めないことや、エリザベスの王位継承権に邪魔なメアリー暗殺を企てたり、ヘンリーがまだ先妻が皇后の時期に認知した、愛人のエリザベスブラントの息子(ヘンリー・フィッツロイ)をアンの弟に殺害させようとしたため、ヘンリーのアンに対する愛情は完全に冷めてしまいます。次の愛人(ジェーンシーモア)と結婚するためアンの弟や親密にしていた男性達との姦通容疑や反逆罪の罪にかけ、結婚僅か3年後に処刑してしまいます。娘のエリザベスは2歳でした。

歴史的「悪女」といえる人物ですが、育った家の慣習が彼女の不幸でもあるといえます。
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アン・ブーリン                    死刑台までひっぱるひっぱる・長すぎです。        

※アンプーリンの姉妹について
ヘンリー8世は、姉妹のメアリープーリンを最初に愛人としていました。後にメアリーはヘンリーの寵臣の1人と結婚します。彼女の子供はヘンリー8世の子と推測する専門家もいます。ヘンリーによく似た男児だったそうです(アンに夢中の王は他に子供が出来ても認知するわけがありません)ひょっとするとヘンリー8世の最後まで生き残った血のつながった男児だった可能性もあります。(この子はエリザベス1世統治の時代になってからエリザベスに仕えるようになります)この姉妹について興味があれば「プーリン家の姉妹」もご覧になる事をお勧め。

◎3番目の妻・ジェーン・シーモア
ジェーン・シーモアは前の2人の王妃の女官として仕えていた人物。そのため、王の事を十分に知っていました。ヘンリーはアンが処刑された翌日、ジェーン・シーモアと婚約を交わします。ジェーンはアンに虐待されていたメアリー王女にも優しく接し王家は一時平和を取り戻します。、結婚後しばらくしてジェーンは懐妊。難産の末生まれたのは待望の王子(嫡男エドワード)でした。ヘンリーの喜びはたとえようもなく、遠ざけていた娘のメアリー、エリザベスも出席させて洗礼式を行いました。しかし、ジェーンは疲労と産褥熱で12日後に亡くなってしまいます。わずか1年と5ヶ月の結婚生活でした。ジェーンの遺体は王のために既に造られてあった墓所に埋葬されました。ヘンリーと墓所を共にしているのは、六人の后のうちジェーンだけ、短い結婚生活であったため諍いのない日々を愛しんでの事でしょう。

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ジェーン・シーモア      ドラマでは答えを出していませんでしたが、子・王妃どちらの命を救うかのヘンリーの選択は王妃の命でした。

◎4番目の妻・アン・オブ・クレーブズ
フランス王と神聖ローマ皇帝が共に法皇を支持し、ローマから離れたイングランドに対抗する動きを見せていた為、イングランドはローマに対抗する大陸諸侯と同盟を結ぶのが良策と考え、ドイツのクレーヴス公の娘アン・オブ・クレーブズと結婚。ヘンリー8世は最初、彼女の肖像画をみて美しさに惹かれ結婚しましたが、実際の彼女は肖像画とはかけ離れた容姿であった為、1度も寝室を共にせずわずか半年で離婚しました。ヘンリーはその肖像画を描いた画家を宮廷出入り禁止にし、政治的思惑から彼女をすすめた側近トマス・クロムウェルを処刑しました。彼女は「王の妹」の称号と年金と城(ヒーバー城)を与えられ、メアリーやエリザベスとも交流を深め一生不自由なく暮らしました。

ヘンリーの毒牙に掛からず、ただ一人、幸せになった王妃ではないでしょうか。
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アン・オブ・クレーブズ        ドラマ上ではとりあえず夫婦の契りの努力?をしていることになっています。

◎5番目の妻・キャサリン・ハワード
ヘンリー8世の次の相手は30歳も年下のキャサリン・ハワード。第四王妃アン・オブ・クレーフェの侍女で第二王妃アン・プーリンの従姉妹でした。キャサリン・ハワードは無邪気で自由奔放、野心のない女性でした。王妃になる前に恋人もいました。年老いたヘンリー8世を尻目に結婚前からの恋人たちと密会を重ね、それが明るみに出て相手の二人の男性と本人は反逆罪で処刑されてしまいます。彼女も断頭台にたち「私は王妃としてではなく、カルペパー様の妻として死にたかった」と発言しました。ある意味ヘンリー8世のことを「貴方には「王」以外の価値はありませんでした」という爆弾のような一言を発言して死んでいった彼女に同情します。身分の低い貴族の庶子などにおそらく選ぶ権利などなかった時代、選ばれてしまったために20歳という年齢で人生の幕を閉じることになりました。

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キャサリン・ハワード               愚かな娘ではありますが、彼女は大人たちの出世欲の犠牲者です。

◎6番目の妻・キャサリン・パー
ヘンリーは翌年6回目の結婚をします。彼女は30歳の未亡人で才女、ヘンリー8世の最期を看取った女性です。
彼女は王に良く仕えたばかりでなく、ヘンリーを説得し前妻たちの娘エリザベスとメアリーの王位継承権を復活させ王女として教育。皇太子エドワードの教育にも腐心しました。ヘンリー8世は最後の結婚から4年目で梅毒により他界します。

異端者扱いされ危なかったキャサリンですが、ヘンリー王が彼女を救いました。 実はイギリスでは「歴代の王」人気No.1なのです。
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キャサリン・パー        初老のヘンリーを演じるジョナサンは目を見張るものがありました。

◆内部関連記事◆

※キャサリン・パーはこの後ドラマの登場人物の「誰か」と再婚をします。チューダーズ<ヘンリー8世 背徳の王冠>は
 王が亡くなる直前までですが、物語はこの後も続きます。→エリザベス /→エリザベスゴールデン・エイジへ続く
※1番目の妻・キャサリン・オブ・アラゴンの妹ファナも有名な人物です。→「狂女王フアナ」はコチラ
※ヘンリー8世は王子が生まれなくて大変でした。イギリス12世紀の「ヘンリー王(2世)」のほうは逆に、王位狙う王子が沢山いて苦労した王様です→THE LION IN WINTER 冬のライオン




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(右)キャサリン・オブ・アラゴン役 マリア・ドイル・ケネディとマーガレット王女役、ガブリエル・アンウォーとのショット。

チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠> DVD-BOX1

 

[製作総指揮]
マイケル・ハースト
[出演]
ヘンリー8世 ジョナサン・リースマイヤーズ
キャサリン・オブ・アラゴン マリア・ドイル・ケネディ
アン・ブーリンナタリー・ドーマー
ジェーン・シーモアアニタ・ブリエム(途中降板)/アナベル・ウォーリス
アン・オブ・クレーヴズジョス・ストーン(シンガーソングライター)
キャサリン・ハワードタムジン・マーチャント
キャサリン・パージョエリー・リチャードソン
トマス・ウルジーサム・ニール
トマス・モアジェレミー・ノーサム
トマス・ブーリンニック・ダニング
チャールズ・ブランドンヘンリー・カヴィル
トマス・クロムウェルジェームズ・フレイン
              
★受賞★
2007年エミー賞・衣装賞受賞
2008年エミー賞・衣装賞受賞
2009年エミー賞・撮影賞受賞
2010年エミー賞・美術賞受賞・ゴールデンリール賞・音響編集賞受賞・衣装賞受賞
2008年アイルランド映画テレビ賞・TV部門主演男優賞受賞(ジョナサン・リースマイヤーズ)


◆外部関連記事◆

シネマカフェ的海外ドラマvol.205 押さえておくべき! イケメン特集 第4回 - cinemacafe.net:イケメン海外ドラマスター特集第4回は、「チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠>」
チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠> 海外ドラマを応援しています

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映画から歴史を探るのが好きです。
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