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2014-04-14(Mon)

マンデラの名もなき看守 ジョセフ・ファインズ/バファナの贈り物

2007年 ドイツ/フランス/南アフリカ共和国
マンデラの名もなき看守ネルソン・マンデラ氏が監獄中にいたときに、看守であった一人の男の物語。彼の手記、 『さようなら、バファナ』を映画化したもので、彼と彼の家族の目線から、当時の社会を描いているヒューマンストーリー。「バファナ」とは主人公が子供時代のときに一緒に過ごし、遊んだ黒人少年の名前。彼の、この少年との出会は、獄中にいるマンデラへと繋がっていった。

舞台はアパルトヘイト(黒人差別)の時代の南アフリカ。1968年、収容所のあるロベン島に、看守であったジェームス・グレゴリーと家族は引越してきた。グレゴリーは幼い頃、黒人少年バファナと共に遊び、過ごしてきたという経緯があった為、黒人の言語「コーサ語」を理解し、話すことができた。それを買われた彼は、マンデラ氏のいる「B区」の手紙のチェックや面会の立会いをする検閲部へ配属された。グレゴリーは当時、マンデラ氏らをテロリストで共産主義であると、さっさとを処刑すべきと考えていたが、次第にマンデラ氏が目指しているものを理解していく。一方、グレゴリーの妻は、当時の監視員の給料だけでは、安月給で食べていくことが精一杯であり、自らも美容師として仕事をしていたが、それでも充分ではなかった為、この配属を昇進のチャンスと喜んだ。しかし、その後の夫の変化に彼女は戸惑うこととなる。

ある日、グレゴリーは上司から、マンデラ氏と彼の妻との面会時の会話の内容の報告を求められた。単に日常の事、(マンデラの息子が自動車免許を取ったこと)を報告すると、まもなくその息子は自動車事故で死んでしまう。上官は関与を否定したが、グレゴリーは自分が上司にマンデラ氏の息子の事を報告したことで、殺されたのではと罪の意識に苛まれる。
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グレゴリーはマンデラ氏の元に行き、コサ語で弔いの気持ちを伝えた。このときマンデラとの会話でグレゴリーは、自由憲章の文献が存在することを知る。しかしこれは一般には閲覧禁止で刑務所の監視などが見ることができるものではなかった。しかし、グレゴリーはまんまと図書館の職員を騙し、一枚の文献の写しを持ち出しポケットに入れた。その内容は・・彼が予想していたものとは全く異なるものであった。

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ある日、グレゴリーは、じき釈放予定の囚人に宛ての手紙の一枚の紙の中に、小さなメモが隠されていたのを見つけた。内容は出所後の行く先(アジト)とそこで指示を待てというものだった。彼は上司に報告後、指示通り手紙を元の状態に戻し囚人に渡した。やがて出所したその元囚人と多くのメンバーは、その場所で爆破事故によって死んでしまう。彼は自身の職務遂行により人が死んでいく事実に葛藤する。

その後、彼はマンデラの氏の為にした「ある事」の為に、黒人びいきと仲間達から中傷されるようになり妻も孤立してしまう。家族を優先した彼は転勤を希望したが承諾されず、ついに辞表を提出すると、ようやく転勤は認められ「B区」の手紙はグレゴリーの転勤先の職場へまわされる事となり、引き続き検閲の仕事に従事することとなった。こうしてマンデラ氏と顔を合わせることがなくなった彼だったが・・

5年後、マンデラは「B区」のメンバーと一緒に本土へ移送されてきた。再びグレゴリーは呼ばれ、マンデラと再会する。
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転勤先は娘の学校から遠いと家庭への悪影響を訴える妻。しかし、グレゴリーがマンデラ氏に会ったことで生まれた想いを妻に伝える。 

この頃になると、グレゴリーの子供達も成長し、マンデラの薦めどおり彼の息子は通信制大学へ。さらに、看守として短期間だけ父親の補佐をすることになる。この頃のマンデラの環境は、開放運動の激化や世論の影響により、以前よりも待遇が良くなっています。グレゴリーの息子はマンデラを「叔父に会ったみたい」と言った。

1980年代にはいると、マンデラ氏を拘束していることで、国際社会からの政治的制裁が強くなり、政府にとっては頭の痛い問題となっていた。同じ頃、グレゴリーの家に「子供を殺す」と脅迫電話が入ると、家族の安全を第一に考えた彼は家族の警護を訴えた。政府は国際社会からの反発を抑えるため、マンデラ氏を環境の良い農業収容所へ移動させる案が出たため、同時にグレゴリー一家もその近くへ転居させた。転勤先から割り当てられた住居は快適でグレゴリーの家族は喜んだ。そんな矢先にグレゴリーの息子は自動車事故で死んでしまう。

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収監が緩和されたマンデラ氏。           自分を責めるグレゴリーを支える妻。       ボタ政権が終わりを告げる。

マンデラ氏が開放されることが目前になってきたとき、グレゴリーは長年胸につかえていた、マンデラの息子のことや彼の亡くなってしまった仲間の事を打ち明けます。その言葉に返ってきたマンデラの言葉とは・・。

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マンデラ氏は開放され、彼が出て行った部屋でグレゴリーは、最後の文献の一節を読み上げる。

一般人の目線から歴史上の人物を捉えた物語。こういった作品も近年では多くなっているような気がします。この作品のグレゴリーの妻役の「ダイアン・クルーガー」も2012年公開の『マリー・アントワネットに別れをつげて』にアントワネット役で出演していますが、この作品も王妃の「朗読係の女性」が主役という同じスタイルの作品です。これらの歴史に左右されない一個人の目線での物語というのは、身近であり、極めて判りやすく観ることが出来るのが長所でしょう。ちなみに、この作品の主人公「ジェイムズ・グレゴリー」は、この後、ネルソン・マンデラの大統領就任式に招待されました。そして2003年、62歳で死去。彼は「歴史のひとこま」になりたい、という願いを叶えました。

マンデラの名もなき看守 [DVD]


[監督]
ビレ・アウグスト

[出演]
ジェイムズ・グレゴリー    ジョセフ・ファインズ
グロリア・グレゴリー      ダイアン・クルーガー
ネルソン・マンデラ       デニス・ヘイスバート
ピーター・ジョーダン少佐   パトリック・リスター
ウィニー・マンデラ       フェイス・ンドクワナ
ウォルター・シスル       レズリー・モンゲジ
ジミー・クルーガー法務大臣 ノーマン・アステイ



[ジャーナリストらによるこの作品に対する批判]
ロベン島ではグレゴリーは、マンデラと会話できるような環境にはなく、実際には検閲作業のみで遠くからマンデラの人物像を見ていたと考えられていて、彼が書籍にする為ストーリーを作り上げたという批判があります。しかし、この類のような作品は批判される事がよくありがちで、真実はわかりません。ロベン島でのマンデラとの接触はなかったとしても、マンデラの息子や仲間が亡くなり、罪の意識に囚われたことが嘘ではなく、本土に移送してからのストーリーが史実どおりでマンデラ氏と良い関係であったことは事実です。どのように見るかは個人の自由です。私は単なる脚色と考え、あまり気にしませんでした。

[作品中に出てきた「黒人だけが携帯するパスポート」(パス法)]
アパルトヘイト政策では、1952年南アフリカに居住する18歳以上の黒人に身分証の携帯を義務付けた。氏名、写真、指紋、雇用主の氏名・連絡先がなどが掲載され、不携帯や身分証の内容が管理記録と異なる場合は逮捕されることもあった。
※「パス法」をめぐる虐殺事件→「シャープビル虐殺事件」

[ボータ政権(南アフリカ共和国首相:ピーター・ウィレム・ボータ)]
首相(在任期間1978年から1984年)、大統領(在任期間1984年から1989年)を歴任。国際的制裁を受けながらも、アパルトヘイト撤廃を求める国際世論に対し反発した。しかし激化する反対運動と国際的制裁により譲歩し、1985年に、[雑婚禁止法][背徳法の廃止]に踏み切る。(原住民土地法、集団地域法等の撤廃は拒否)そして翌年にはパス法が廃止される。しかし運動は沈静化することはなく国外からの政府に対しての批判はさらに強くなる。86年、南ア全土に黒人暴動が拡大すると非常事態を宣言。一度マンデラ氏を解放しようとしたが、決して黒人を開放しようという意図のものではなく単に暴動を沈静化させる目的であり、あくまでも弾圧政策を推進した。この姿勢は政党内で反発を生む結果となる。1989年ボータは大統領を辞任。彼は、アパルトヘイト体制崩壊後に発足した「真実和解委員会の証言」は最後まで拒否した。同年9月、デクラークが大統領を就任し、アパルトヘイト撤廃に向けて改革をはじめた。そして、1990年2月ネルソン・マンデラを釈放した。翌年2月には国会開会演説でアパルトヘイト政策の廃止を宣言。6月には人種登録法、原住民土地法、集団地域法が廃止され、アパルトヘイト体制を支えてきた根幹法の最後の法律が廃止された。そして1994年4月に全人種参加の初の総選挙が行われ、マンデラが大統領になる。憲法が制定され、アパルトヘイトは完全撤廃された。



◆内部関連記事◆

出所後のマンデラ氏が目指したもの→インビクタス 負けざる者たち
アパルトヘイトの対象を宇宙人にたとえた娯楽SF映画→第9地区


★外部関連記事★

ネルソン・マンデラ:不屈の精神/肌の色という呪いの払拭
マンデラ氏は政治家として、そして人間として矛盾を抱えていた。天才でもなければ、自らしばしば口にしていたように、聖人でもなかった。初期の著作の中には、当然の怒りに満ちてはいたものの、平凡なマルクス主義をとりとめなく書き連ねたものもある。だが、そのカリスマ性は、若いころから歴然としていた。人種的優越性という神話が法制化されていた国にあって、自分と、すべての同国人に、平等な扱いを受ける権利があることを決して疑わなかった。

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