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2017-10-07(Sat)

ジョナサンのベイビー/ジョナサン・リースマイヤーズ

待ってました。ジョナサンのベビーです。ジョナサンも、あっという間にお父さんの顔立ちになりました。

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ウォルフ君。パパ似です。耳、鼻、口。そっくりで笑っちゃいます。ジョナサンも男系の家系で男ばかりの長男。マイヤーズ家優勢遺伝子か。
可愛いです!将来も楽しみですね。




最近のジョナサン [ヴァイキング ~海の覇者たち~シーズン5] より

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最初からバイキングでは無いようです。泥臭そな役柄で楽しみ。でも日本で観られるのは、まだ時期未定 待ち遠しい・・・。



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ヴァイキング ~海の覇者たち~ (字幕版) 全4シーズン 2013



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2017-09-16(Sat)

西太后/権力に執着した女帝

1985年 中国・香港
31w41M6j7aL.jpg中国三大悪女の一人と伝わる、西太后の半生をもとに製作された中国のドラマです。時代は清朝末期。『火焼圓明園』『垂簾聴政』という2部からなるものを一つに纏めたものです。史実とは、異なる面もあり、歴史映画として評価できるものではありません。ラストのシーンでは、皇帝の寵愛を受けていた女性の四肢を切断し甕に放り込み殺さず生かしながら、時折その状態を眺臨するという残忍な人物として描かれていますが、後々、これは史実ではないということが広まりました。この作品のおかげで、西太后は嫉妬、憎悪、残忍な人物として、多くの人に印象付けられることとなりました。しかし、崩壊直前の清王朝の時代において、権力者として君臨し、亡くなるまでの約50年間、諸外国に侵略されなかったこと「だけ」は評価するべきと考えます。権力で人命を奪う悪女には変わりありませんが、その多くは国内の政治的事由によるものです。視聴時間は2本で6時間と非常に長いのですが、内容は至って単純です。今じゃとても考えられませんが、中国/香港で映画製作が本格的にできるようになった頃の作品なのでやむなしといったところでしょう。後の皇帝「ラスト・エンペラー」に繋がっていくと考えながら見ると、とても興味深いです。

[あらずじ]
「玉蘭」(西太后)はエホナラの出身。権力への野心のある少女だった。彼女は大勢の女性と共に後宮に入る。しかし見初められるのは僅か。それでも玉蘭は皇帝・咸豊帝の気を引くことに成功、しかし皇帝は彼女がエホナラの出身と知り去っていきます。それはかつて、清朝王家「愛新覚羅家」が滅ぼした因縁の家柄だったのです。エホナラ族は皇貴妃、貴妃などには選ばれず下級の女官にされました。しかし玉蘭は諦めることなどできず、皇帝のもとに向かう女性の後姿を悲しげに見つめます。

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離宮である圓明園の宮女となった彼女はある日、皇帝が来ているときに再び気を引くことに成功。後宮に入り貴人となった。やがて男児を生み、さらに貴妃(懿貴妃イーキヒ)に昇進したのです。この同じ頃、中国はアロー戦争で敗退。政治手腕のない皇帝は列強国によって不利な条約を締結させられていた。(天津条約)しかしこの条約にも満足しない列強国はさらに進撃を続け北京まで攻め入ってきた。皇帝は北京を弟の恭親王に任せてほかの地へ逃げます。しかし当の恭親王は雲隠れ。皇帝のいない北京で離宮「圓明園」は外国人によって、略奪、破壊、放火された。そして恭親王に最後通牒が送られる。やがて、ロシアの仲介により北京条約が結ばされることとなるが、中国にとってさらに不利な条件であった。この頃より懿貴妃は政治に口出しをするようになっていきます。

北京条約を結んでいたその頃も、皇帝は外交などそっちのけ。恭親王に任せ、逃げた先の山荘で手足が美しく踊りの上手な麗妃に心を奪われています。懿貴妃は皇子の生母とはなりましたが、麗妃に嫉妬します。一方で政治に意見する懿貴妃を皇帝の側近たちは快く思ってはいません。そんなある日、京劇の途中で皇帝が倒れます。死期を悟った皇帝は息子のこと皇后のことを考えます。8人の重臣のうちの一人、サイシュンに皇帝は言います。「懿貴妃は東太后を支配する」と。スーシュンに皇后を守ることを誓わせます。この時、スーシュンは「クウイの故事」の話をするのですが、それは、紀元前100年頃の前漢の第7代皇帝の漢武帝の夫人のうちの一人、クウイのことでした。漢武帝はクウイの息子を後継者に選んだが、それにより彼女が生母として権勢をふるう事を恐れ、クウイは殺されたというもの。この故事の通りになるだろうと告げた。これを陰で聞いていた懿貴妃は恐怖で体が凍り付き、皇帝は懿貴妃にそんな無慈悲なことはできないと彼女にそれなりの地位を与えなければと悩みます。

やがて皇帝崩御。懿貴妃の子載淳が皇帝に即位することになります。咸豊帝の遺命を受け載淳の後見となったのは8人の重臣たちだった。咸豊帝は皇后(鈕祜禄/のちの東太后)と懿貴妃の身の安全も考えていた。死の直前に、「スーシュンは横暴、恭親王は頼りなく、皇后は誠実だが載淳を守れる力がない。と告げ、懿貴妃に皇后(鈕祜禄)を守ることを約束させ、また皇后と共に載淳を守る事を約束させ懿貴妃に「同道堂印」を渡すのです。 (咸豊帝は「御賞」、終りに「同道堂」を押印の2印があって政治的な決定を有効としていた。「御賞」はすでに鈕祜禄に手渡されていた)咸豊帝は8人の重臣たちを新皇帝の後見人にしたものの、これにより政治の最終的な決定には鈕祜禄と懿貴妃の持つ二つの印がなければ決定しないという火種を残したのです。

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皇帝崩御の寸前、咸豊帝の無事を祈っていた麗妃は何者かに連れ去られてしまいます。その後、載淳の後見となった8人の重臣たちと、皇后、懿貴妃との対立はすぐに始まります。権力闘争の末、皇后、懿貴妃はクーデターを起こし、8人の重臣はそれぞれ、殺されたり、自害させられたり、免職とされました。(辛酉政変:1861年)載淳は同治帝として即位すると、皇后鈕祜禄は慈安皇太后(東太后)、懿貴妃は慈禧皇太后(西太后)となった。こうして、その後、半世紀にも及ぶ「垂簾聴政」が始まるのです。

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反則技ラストシーン。怖いもの見たさの心理を煽ってます。このシーンで「あーあの映画ね!」って思いだす人もいるかもしれません。
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麗妃曰く「私、実は、五体満足で天寿を全うしてます~。懿貴妃さんとも上手くお付き合いしていたのよ!」とのことです。(この部分は紀元前の呂雉(呂后)、6世紀頃の武則天(則天武后)という二人の物語からヒントを得たフィクションです。)

西太后 (完全版) DVD-BOX


[出演]
玉蘭/西太后 リュウ・シャオチン
咸豊帝 レオン・カーフェイ




[その後の西太后のお話]
実は西太后の権力の私物化は、この先から拍車が掛かるのです。でも、冒頭でも書いた通り、この時代の中国で、諸外国に侵略されずに半世紀とは凄いことです。西太后が悪女であったことは確かですが、同時に人並外れた戦略家であり、また高い政治的手腕の持ち主であったことも確かだと思います。いつもスパイを使って先手を打っていたのですが、これは忠誠を誓う人材が大勢いたからでもあり、その理由もあったはずです。そして人を見据える能力に長けていたのだろうと想像します。近年になって、西太后を再評価するべく調査がされているそうです。それは彼女の人間像に興味を持つ人が多くいたという証拠ですね。この先の歴史家たちの研究や、新たな資料などが見つかれば、今までのイメージとはまた異なる側面が見えてくるかもしれません。それから細かいことですが映画の中の事実と異なる点をひとつあげておきましょう。映画では「同道堂印」について、皇帝は直接、懿貴妃に渡していますが、実は息子の載淳に渡していて、懿貴妃は皇帝が亡くなってからそれを載淳から奪ったというのが本当のところです。咸豊帝はとても優しい人物だったそうですが、実は、懿貴妃を信頼などしていませんでした。野心家であり、危険であることを見抜いていたのです。なのに、たった6歳の子供に渡すとは詰めが甘いです。きっと信頼と力のある人物がいなかったのでしょう。そうするしかなかったのかもしれません。さて、この同治帝ですが19歳で病気で亡くなります。そしてすぐに同治帝の皇后が急死。(西太后の指示による暗殺説有)、そして次の皇帝になったのが血縁の近い妹の子4歳の戴恬(後の光緒帝)でした。戴恬の母親は西大后の妹で、血縁者である西大后は変わらず権力を掌握します。その後、東大后も急死。(こちらも西太后の指示よる暗殺説有)そして恭親王も追放。これにより西太后が事実上政権の首班になった。戴恬が光緒帝になっても実権は西太后が握り垂簾聴政が行われた。それでも、光緒帝が18歳で結婚すると正式に親政を開始。光緒帝は弱体した清の復興を切望し、体制の抜本的な改革を宣言した(戊戌の変法)すると、西太后は当初静観していたが、変法派の一部が西太后の幽閉を計画したため、西太后は先手を打ってクーデターを起こし、光緒帝を監禁。変法派を弾圧した。(戊戌の政変)。幽閉された光緒帝は囚人のような悲惨な生活を強いられていたという。1900年、義和団の変が起き、8カ国の連合軍を相手にした戦争がはじまると、連合軍は北京に入ってきたたため、西大后は光緒帝を同行させ北京を脱出。この時、光緒帝側妃の一人珍妃(ちんひ)は、北京を出るべきではないと意見をした為、井戸に投げ込まれて殺されている。西太后は光緒帝を廃位させるべく自らの大甥で光緒帝の従甥でもある端郡王載漪の子溥儁を皇太子に立てようとしたがが、列強の反対にあい断念した。北京を離れた後、連合軍との交渉に入り辛丑条約(しんちゅうじょうやく)を締結。中国は多額の賠償金の支払いと財政的にも列強への従属を余儀なくされ,半植民地化はいっそう深刻化した。1908年、衰弱していた光緒帝の死が近いことを悟った西大后は、次の皇帝に醇親王の長男「溥儀」を指名した。これが最後の皇帝「ラストエンペラー」です。同年光緒帝が崩御した翌日、なんとも皮肉なことに、数日前から体調を崩していた西太后も崩御した。「以後女をして国を当たらしむるべからず。これ本朝の家法に違背すればなり」という言葉を残している。自身の罪を悔いてのものなのか、それとも、歴史に名を遺す意図であったのか。その意味は本人にしか判りません。近年の研究で、光緒帝の遺体の科学分析の結果、頭髪から経口致死量を上回る残留砒素が検出され、光緒帝が毒殺されたものと結論づけられた。光緒帝の廃位を列強が反対していたので西太后の思い通りにならなかったですからね。亡くなってしまえば文句は言えません。自身が権力を掌握するには、皇帝は「子供」でなくてはならないのです。「溥儀」を皇帝にして引き続き垂簾聴政を行うつもりだったのでしょう。なんという執着でしょうか。



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西太后~稀代の悪女のイメージの実体は?~
増え過ぎた生産物は消費されねばならない。つまり、はけ口となる場所が必要であった。つまり、市場と原材料を供給する新たな植民地を海外に求め始めたのである。こうして、イギリスを中心とする列強諸国による世界分割競争の幕が切って落とされた。やがて利害対立は苛烈なものとなり、世界中で列強同士による武力衝突を引き起こすまでになっていた。それは美味しい所は一人占めしたいというけだもの同士のなわばり争いのようなものだった。 豊かな資源と広大な土地と人口を擁する中国やインドが、これら血に飢えた列強どもに目を着けられたのは当然の成りゆきだったと言えよう。



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